創作実話・盛り・嘘松 について|意図と目的、心理と批判、現状と実際

ネット上には、嘘としか思えないような書き込みや、明らかに話を盛っているような書き込み、あたかも真実かのように語られた書き込みが数多く存在する。

目次

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創作実話

いわゆる「作り話」。当たり障りのない冗談やユーモアを感じさせる書き込みが多い。

今日マックで女子高生がジェームス・ブラウンについて熱く語ってた。

他にも「いい話」や「怖い話」が体験談のように語られることも多い。その手の話は匿名掲示板の「2ちゃんねる」で多く見られた。

嘘松

いわゆる「ウソ話」や「虚言」を行う者たちのことを指す。短文投稿サービスの「ツイッター」などでよく見られる。自身の欲求や理想を表現したかのような書き込みが多くみられる。

え、待って、いま電車内で先輩が後輩のネクタイを結んであげている現場に遭遇していて驚愕してる。

妄想を体現したかのような書き込みも多い。

入学式初日、隣の席の男子(割りとイケメン)に告白されたんだけど。「は?ウゼー消えろ」って言って断ったのに、今日も告白してきやがった。こいつマゾなのか…?

明らかに嘘と分かるような現実離れした話や、高いストーリー性やユーモアを感じさせる書き込みも多い。

映画館で右の席に座っていたイケメンが私のドリンクホルダーの飲み物を勝手に飲み始めた。「え?なんで…」って言ったら「あ、ごめん俺左利きだから間違えた」って。そうか、左利きなら仕方ないよな。左手で思わず私の方のドリンク取っちゃうよな。うん、わかる。
しかし全部飲んじゃってるしな。そしたらそのイケメンが自分の方のドリンクを取って「俺のまだ少し残ってるから代わりにあげるよ」って、いやいやいや、斜め上すぎるだろ。おまえその風体で天然記念物かよ。ていうかそれ完全に間接キスじゃん?お互いやったらそれはもう完全にディープキスじゃん?

ちなみに「嘘松」は表現形式ではなく正しくは、上記のような作り話を行う者たちのことを指す。またそのような者たちを嘲笑したり侮蔑する意味合いで用いられることも多い。

嘘松(ハッとする系、スカッとする系、拍手喝采する系)

嘘松の中には、世の中への不満を表したような虚構も多く存在する。

バイト先の外国人留学生から
「日本の男性はなんで家事をしないんだい?」
「海外では男性が家事を手伝うのは当たり前なんだぜ」
って言われてハッとした。
※ 暗に「日本の男性は家事を手伝うべきだ」と主張しているようにも取れる。

現在ではこの手の自身の不満や理想を表した書き込みや都合の良い話を持ち出す者は、読み手から「嘘松だ」などと咎められることが多い。またそのような指摘は「嘘松認定」と呼ばれている。

嘘松は従来の「創作実話」よりも感情的で、世の中の理不尽さを訴えかけるようなものが多く、一方的な主張や理想を感じさせたり、他人からの共感や承認を求めているようにも感じさせられる。政治や文化、世の中や社会の風習に対する不満を感じさせる書き込みも多くみられる。世の中への問題提起を目的とした創作も多いように感じられる。

盛り、ホラ吹き、冗談、ユーモア

話を大げさに表現したりする。事実を改変したり、話を大げさに盛ったような書き込みも見られる。ネタか真実かどうかは本人にしか分からない。

「住民票の写しのコピー」のなにか上手い例えを考えていたら、週末が終わってた。
だいぶ前にフォローした「エジソンの名言集」的なアカウントが、気づいたらネコ画像botに変わってたって話ししたっけ?
「ねーお母さん、あの人さっきもタマゴ買ってたよー?」
って知らない子どもに言われた・・・(´;ω;`)ブワっ
#お一人様一点限り

ジョークやネタ系のツイートも多く存在する。明らかにウソだとわかる物もあれば、実際にあったことのように思えるものもある。本当か冗談かは本人にしか分からない。

今日泊まったビジネスホテルに
凹 ←こんな形の風呂椅子があった(゜ω゜)??
うたた寝しながら母乳を吸う赤ん坊を見て思わず「こいつ、人間の三大欲求を一度に同時に満たしてやがる・・・!」って関心してしまった。

創作実話・盛り・嘘松の意図と目的

このような出来過ぎた話や創作的な書き込みは、自身の主張や嗜好、ユーモア、社会への不満を相手に分かりやすく伝えるための手段としても活用できる。言葉だけでは伝えづらい主張や、分かりづらい趣旨を、ストーリー仕立てのキャッチーで身近で分かりやすい形で表現することができる。

今日聞いた老人と若者の会話。

老人「今どきの若いモンは鬱だキツイだなんて言ってすぐやめる。ワシらの頃はもっと我慢強かった。根性が足りてない」
若者「今と昔では時代や環境が違うんですよ。それにこの今を作ったのはあなた達の世代でしょう」

スカッとしたと同時に色々と考えさせられた。

自身の主張を直接的ではなく間接的に訴えかけることができる。

またその内容が読み手にとって身近な話題であることを意識させることができる。書き手の主義主張を淡々と述べるだけでは、人々の関心を集めることは難しいが、しかし実際にあったことのように語ることによって、読み手の興味を引いたり、他人事ではないといった危機感を煽ることができる。

相手を説得するための長く論理的な文章を用いることなく、手軽に人々の感情に訴えかける文章を作り上げることができる。

つまるところ、自分の考えをより多くの人達に知ってもらいたいという欲望が、嘘松を生み出すのである。人を惹きつける最も堅実な方法は、物語を創り上げることである。これは創作実話に限らず、世の中のビジネスにおけるマーケティング活動や芸能界におけるプロデュース活動でも同じことであろう。中には、より多くの支持を得るために虚構を創り上げようとする者たちもいる。そしてその虚構を愛する者たちや容認する者たちがいることもまた現実なのである。

創作実話・盛り・嘘松の心理と批判

創作的な書き込みの活用には、自己防衛としての側面を強く感じさせられる。あくまで傍観者という立場を装い、自身の存在を遠ざけ守ろうとしているのだ。

小説家が社会への不満や理想を物語のストーリーや登場人物に代弁させようとするのと同じように、自身の思想や主張に対する責任を仮定の存在に押し付けようとしている。

自身の意図や存在をぼかし、あたかも客観的な事実であるかのように物事を周知させようとしたり、主観や持論に説得力を持たせようとしている。

また、世間体を気にしながらも遠回しに自身の考えを訴えかけようとしているようにも見える。

加えて、大多数の人間に対する不満を、さも一部の人間に対する不満かのように表現することによって、大勢の人間からの避難を無意識のうちに回避しようとしている。

嘘松は、自身の意見を遠回しに述べ、なおかつその責任を第三者に転嫁しようとする、至極ずる賢い表現手法であるといえる。

他にも、外国人という異なる文化をもった第三者の存在を取り入れることで、主張に説得力を持たせようとしている。身内の言うことには耳を貸さないが、第三者の言うことには素直に従ってしまうという人間の心理を上手く利用している。外国人からどう思われているかを過剰に気にしてしまう日本人の国民性に強く訴えかけようとする極めて戦略的な手法といえる。

また、欧米文化や西洋社会を絶対視する日本人の国民性を利用し、海外との対比によって日本の文化がいかに劣っているかという事実を過剰に強調し危機感を煽っているようにも思える。

直接言えばいいものを、わざわざ自分以外の存在に代弁させようとするこれらの行為は、場合によっては卑怯で陰湿な行為とも受け取られかねない。作り手の意図や主義主張、エゴが見え隠れする作為的な書き込みや、作り手の陰険さが垣間見える書き込みに、読み手は不信感や警戒心、失望を抱くことだろう。

創作実話・盛り・嘘松の現状と実際

このような創作的な書き込みは、見え透いたつまらない嘘だとすぐにバレてしまうことがほとんどだが、中には創作だと知った上で拡散してくれるような読み手も多くいる。

中には明らかにネタや創作と分かるような書き込みも多く見られる。むしろネタや創作を意図して書かれたものが大半であるとも考えられる。既存のテンプレートに沿って書かれたような定型的な書き込みも多い。

あえて創作であることをほのめかすことによって、その発言の考案者が作者自身であるということを暗に示すこともできる。創作的な書き込みによって、遠回しに自身のユーモアや嗜好、能力を誇示することができるわけだ。

中には世の中への問題提起を目的に、あるいは議論のきっかけを生み出すために、それらしい出来事を創作している強かな者たちもいることだろう。または、自己顕示欲や承認欲求をひた隠す意図をもって、このような遠回しな書き込みを活用しようとする者もいるかもしれない。しかしそれらは結局のところ、間接的に欲求を満たそうとしているだけにすぎない。

極端な主張で人々の関心を煽ろうとする炎上商法や炎上芸/煽り芸と何ら変わらない、身勝手で不誠実で卑劣な手法とも言える。

落語や小説はフィクションという前提を元に楽しまれることがほとんどであるが、一方で、創作実話や嘘松は、それを実話として受け取る読み手と嘘話として受け取る読み手が混在した状態にあり、受け手の認識が二分した脆く曖昧な環境の上で成り立ってしまっている。本当の話が虚言として受け取られてしまったり、逆に虚構が事実として認知されてしまう危険と常に隣り合わせにある。

また現代では、悪意のない創作に対して虚言を指摘する者も多くいる。おそらくそこには、冗談が分からない人による指摘だけではなく、創作への人気に嫉妬した者たちからの指摘や、やり方が気に食わないと感じた者たちからの侮蔑も含まれていることだろう。とりわけ悪意の感じられる創作や恣意的な創作に対しては、ことさらに虚言を指摘する者が多く現れる。そこには正義感や被害妄想、政治的な反論、作為的/利己的な書き込みに対する拒絶や反発、嫌悪が感じられる。

現代の広く相互的なインターネット文化において、実際にあったことのように語る手法は、不安定かつ脆弱で扱いが難しく、なおかつ効果は限定的で副作用は大きく、表現手法としてはもはや不完全なものであると感じざるを得ない。

身勝手な嘘話や嘘松の蔓延は「ネット上の話は嘘ばかりである」といった常識をも生み出しかねない。創作実話や嘘松はもはやデマやフェイクニュースとなんら変わらない存在になりつつある。嘘が当たり前という風潮によって、真実が簡単には受け入れられない時代がやってくるとしたら、それは酷く生きづらい社会に思えてならない。

創作実話や嘘松などの作り話やウソ話は、他人が不利益を被ったり、行き過ぎたものでもない限りは、それを「創作だ」「嘘松だ」などと責め立てたり咎めたりする必要はないであろう。優しい嘘は時に人を幸せにする。面白い冗談は人を楽しませる。豊かな社会は人々の寛容さによって成り立っていることを忘れてはならない。

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注釈

現在の嘘松には、エンターテイメント性を意識した嘘松と、社会性や政治性を意識した嘘松という複数の系統があるように思える。
嘘松はもともと腐女子界隈で発展した文化であり、腐女子の妄想や理想を高いストーリー性やユーモアを交えて描いた物も多く見られた。そのため、この手のスカッとする系の書き込みを嘘松というジャンルに位置づけてよいものかどうか疑問を感じる。従来の嘘松とは区別して定義するべきだったのではないか。「責任転嫁」や「遠回しな抗議」「思想の比喩化」など諸々の動機や概念を上手く包括した呼び名が求められるように思える。「転嫁松」(責任転嫁松)や「サロゲート松」(代理松)ではいまいちピンと来ない気がする。そもそも「嘘松」や「創作実話」で十分という意見や風潮もあるかもしれない。
現在では、嘘松による書き込みそのものを「嘘松」と呼ぶ者も多くいるが、正しくはそのような創作的な書き込みを行う者たちのことを「嘘松」と呼ぶ。作り話そのものに罪はないのである。むしろそれを作った人間の愚かさや、浅はかさこそが、糾弾されて然るべきなのである。そのための便利な蔑称として「嘘松」という言葉が使われてきたようにも思える
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