プリンセス駅伝の感動ドラマに得体の知れない恐怖を感じた

プリンセス駅伝のランナーが血まみれで地面を這いながらも襷を繋ごうと懸命にもがく姿を見て、私は言葉では言い表せないほどの恐怖を感じた。私はこの傷だらけのプリンセスを見て、感動ではなく恐怖で涙した。

彼女の姿に惨めさやみっともなさなんてものは微塵も感じられない。むしろ私はあの行動に、日々積み重ねてきた努力というものの重さや、必死になって生きることの意味を深く考えさせられた。

しかしなぜ誰も止められなかったのか。彼女には走り続ける権利があったかもしれない。しかし同時に、現場の関係者や運営にはそれを止める義務と責任があったはずなのだ。

そして我々もまた、彼女の行動を応援し称賛することの意味をきちんと考えるべきだった。

当然、我々には彼女を止める義務も責任もその術もなかっただろう。だからこそ我々はその現実から目を背け、見て見ぬふりをするより他ないのである。そしてそれを正当化するがごとく、我々は彼女の最後まで諦めない強い意志と尊い自己犠牲を称賛し美談のようにして扱う。ここにはもはや教訓も、反省も、罪の意識だって存在しない。ただ酷く美しい感動的なドラマがあるだけなのだ。

私はこの一連の結果と世の中の有様を重ねて底知れぬ恐怖と絶望を感じた。

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追記

結局、事前にルールが整備されていなかったことや、200メートルと20メートルという悲劇的な距離、そして監督と運営との連絡が的確に行われなかったといった不運が重なってしまった。この問題には明確な悪が存在しない。誰に責任があるわけでもなく、ただ偶然が重なってしまったにすぎないのだ。本人も、関係者も、断片的な情報と衝撃的な映像で感情的になってしまった我々も、誰も責めることはできず、人々はただ虚しい物語の登場人物にすぎない。

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