創作実話・盛り・嘘松 について|意図と目的、活用から悪用まで

ネット上には、嘘としか思えないような書き込みや、明らかに話を盛っているような書き込み、あたかも真実かのように語られた書き込みが数多く存在する。

創作実話

いわゆる「作り話」。当たり障りのない冗談やユーモアを感じさせる書き込みが多い。

今日マックで女子高生がジェームス・ブラウンについて熱く語ってた。

他にも「いい話」や「怖い話」が体験談のように語られることも多い。その手の話は匿名掲示板の「2ちゃんねる」で多く見られた。

嘘松

いわゆる「ウソ話」や「虚言」。短文投稿サービスの「ツイッター」などでよく見られる。自身の欲求や理想を表現したかのような書き込みが多い。

え、待って、いま電車内で後輩が先輩のネクタイを結んであげている現場に遭遇していて驚愕してる。

妄想を体現したかのような書き込みも多い。

入学式初日、隣の席の男子(割りとイケメン)に告白されたんだけど。「は?ウゼー消えろ」って言って断ったのに、今日も告白してきやがった。こいつマゾなのか…?

明らかに嘘と分かるような現実離れした書き込みや、高いストーリー性やユーモアを感じさせる書き込みも多い。

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嘘松(ハッとする系、スカッとする系、拍手喝采する系)

嘘松の中には、世の中への不満や理想を表したようなものも多く存在する。

バイト先の外国人留学生から
「日本の男性はなんで家事をしないんだい?」
「海外では男性が家事を手伝うのは当たり前なんだぜ」
って言われてハッとした。
※ 暗に「日本の男性は家事を手伝うべきだ」と主張しているようにも取れる。

要は「創作実話」の一種であるが、現在ではこの手の自身の不満や理想を表した書き込みや都合の良い話は、読み手から「嘘松だ」などと咎められることが多い。

従来の「創作実話」よりも、感情的で一方的な主張や理想を感じさせたり、他人からの共感や承認を求めているようにも感じさせられる。政治や文化、世の中や社会の風習に対する不満を感じさせる書き込みも多い。

盛り、ホラ吹き

話を大げさに表現したりする。事実を改変したり、話を大げさに盛ったような書き込みも見られる。ネタか真実かどうかは本人にしか分からない。

「住民票の写しのコピー」のなにか上手い例えを考えていたら、週末が終わってた。
「ねーお母さん、あの人さっきもタマゴ買ってたよー?」
って知らない子どもに言われた・・・(´;ω;`)ブワっ
#お一人様一点限り

冗談、ユーモア

ジョークやネタ系のツイートも多く存在する。明らかにウソだとわかる物もあれば、実際にあったことのように思えるものもある。本当か冗談かは本人にしか分からない。

今日泊まったビジネスホテルに
凹 ←こんな形の風呂椅子があった(゜ω゜)??
うたた寝しながら母乳を吸う赤ん坊を見て思わず「こいつ、人間の三大欲求を一度に同時に満たしてやがる・・・!」って関心してしまった。

創作実話・盛り・嘘松の意図と目的

このような出来過ぎた話や創作的な書き込みは、自身の主張や嗜好、ユーモア、社会への不満を相手に分かりやすく伝えるための手段としても活用することができる。言葉だけでは伝えづらい主張や、分かりづらい趣旨を、ストーリー仕立てのキャッチーで身近で分かりやすい形で表現することができる。

今日聞いた老人と若者の会話。

老人「今どきの若いモンは鬱だキツイだなんて言ってすぐやめる。ワシらの頃はもっと我慢強かった。根性が足りてない」
若者「今と昔では時代や環境が違うんですよ。それにこの今を作ったのはあなた達の世代でしょう」

スカッとしたと同時に色々と考えさせられた。

自身の主張を直接的でなく間接的に訴えかけることができる。

小説家が社会への不満や理想を物語のストーリーや登場人物に代弁させるのと同じように、自身の思想や発言の責任をある種の仮定の存在に押し付けることができる。これらはある意味、自身の考えや主張、存在をぼかし、あたかも客観的な事実かのように物事を周知させたり、主観や持論に説得力を持たせようとするが故の行動と捉えることもできる。また自己防衛としての側面も感じさせる。世間体を気にしながらも遠回しに自身の考えを訴えかけるようとしているようにも見える。

このような創作的な書き込みは、見え透いたつまらない嘘だとすぐにバレてしまうことがほとんどだが(要出典)、中には創作だと知った上で拡散してくれるような読み手も多くいる(要出典)。

直接言えばいいものを、わざわざ自分以外の存在に代弁させようとするこれらの行為は、場合によっては姑息で陰湿な行為とも受け取られかねない。

中には明らかにネタや創作と分かるような書き込みも多く見られる。むしろネタや創作を意図して書かれたものが大半であるとも考えられる。既存のテンプレートに沿って書かれたような定型的な書き込みも多い。

創作実話や嘘松などの作り話やウソ話は、他人が不利益を被ったり、行き過ぎたものでもない限りは、それを「創作だ」「嘘松だ」などと責め立てたり咎めたりする必要はないであろう。優しい嘘は時に人を幸せにする。面白い冗談は人を喜ばせる。豊かな社会は人々の寛容さによって成り立っていることを忘れてはならない。

創作実話・盛り・嘘松 について【ネット表現講座|超上級編】

ここから先の内容は、以前、ジョーク記事として他のページに掲載されていたものです。創作実話や嘘松の活用を助長する意図はありません。どちらかと言うと、創作実話や嘘松のステレオタイプを皮肉る目的で書かれています。

創作実話・盛り・嘘松の活用と実際

「マックで女子高生が」といったシチュエーションはもはや定番となっている。「フードコートで女子高生が」にすると若干リアリティが増す(気がする)。

今日フードコートに、ハードボイルドのことを「ハードワイルド」って言い間違ってる女の子がいて凄く萌えた。

女の子A「でね、キアヌリーブスがなんか、凄いハードワイルドなの!」
女の子B「ふーん〜(無関心)」

隣の子が間違えを指摘せず冷めた感じだったのもまた良かったです。

外国人が日本の文化や風習に疑問を呈するような形式も広く親しまれている。また頑固な老人や、DQN、カップル、物事の真理を突く子どもを登場させるとそれっぽくなる。

さっきマックで真理を突いた発言をする女子高生に老人がケチを付けているところを外国人留学生と思わしき小学生くらいの子どもが見事に仲裁して拍手喝采を受けている現場に遭遇して思わずハッとさせられた。

他にも偉い人や権威のある存在を引き合いに出すことで、主張の信頼性や権威性を高めようとすることができる(高まるとは言っていない)。

昔、東京大学の教授が「増税は一時的ではあるが景気の低迷に繋がる」って言ってたのを思い出した。#増税反対

見慣れない状況や登場人物を織り交ぜることで、冗談めかしたような演出を行うこともできる。

オタクは女性を語る際の基準がなぜか決まってマンガやアニメに登場する女の子だったりするって、ばっちゃが言ってた。

PTAのお母さんや頑固な老人をステレオタイプに描くことも有効。

今日、駅前に設置されたダビデ像が卑猥だとして抗議するPTAのお母さん方がいたんだけど、むしろあれを卑猥なものと認知できるお母さん方の感性に抗議したい。
男性の像だけが設置されているのは男女差別なので、女性の像も設置しろと主張する男性がいたけど、それ、男女差別じゃなくて、だたのわがままや被害妄想なのでは?

以下の例は、意外な人たちを発言者にすることで、創作実話や嘘松であることを自ら示唆する高等テクニックである。

「レースクイーンの職を奪う権利が必ずしも正義だとは思えない。女性蔑視や女性差別という主張や意識が、かえってレースクイーン達を傷つけたり差別することに繋がっていることにも気づくべき」って下校途中の小学生が熱く語っていてハッとさせられた。

差別意識や弱者意識を盾に自分たちの理想や価値観を押し付けようとする人たちがいる。自意識過剰や被害妄想、嫉妬心によって生じた主張やわがままが簡単にまかり通ってしまうのが今の世の中だ。クレーマーの少数意識が過剰に尊重されることによって逆に生きづらい社会が生まれやすくなってしまってるようにも感じる。ってセブンカフェの女子高生が言ってた。

正義や権利を主張・乱用しすぎると、いずれ愛想を尽かされる。面倒臭い人たちという印象やレッテルを与えられてしまう。そしてそのステレオタイプはいずれ嫌悪の対象となってしまうのである。ここぞという時に利用してこその権利と正義ではないか。って近所の広告マンが言ってました。

何でもかんでも黒人に配慮しろと言って、黒人を腫れ物みたいに扱うこともまた、一種の差別なのではないだろうか。ってサイード人が言ってた気がする。
障害者に過剰に気を使いすぎるよりも、同じ社会の一員として、他の健常者と同じように接することも大切だと思う。ってうちのネコが言ってる。

社会全体で心の余裕がなくなってきている。寛容な社会が失われつつあるように思える。ってうちのライターが意識高い系の胡散臭い社会学者みたいなことを言い出しました。

これらの多くの権利や正当化意識は時に政治利用されてしまうこともある。他人に利用されること無く、意図的に造り上げられた風潮や策略に流され踊らされることなく、賢く生きたいものである。権利を振りかざし権利に振り回される権利の奴隷になってはならない。

「権利を振り回し権利に振り回される権利の奴隷となってはならない」って現実が見えていない理想主義者がリンカーン大統領の演説っぽいけど語呂がいいだけのそれらしいことを言っていました。

注釈

現在の嘘松には、エンターテイメント性を意識した嘘松と、社会性や政治性を意識した嘘松という複数の系統があるように思える。
嘘松はもともと腐女子界隈で発展した文化であり、腐女子の妄想や理想を高いストーリー性やユーモアを交えて描いた物も多く見られた。そのため、この手のスカッとする系の書き込みを嘘松というジャンルに位置づけてよいものかどうか疑問を感じる。従来の嘘松とは区別して定義するべきだったのではないか。「自己主張」「代弁」「代替」「仮想化」「責任転嫁」「代理表現」「共感欲求/承認欲求」「遠回しな風刺や皮肉」「理想の体現」「思想の比喩化」など諸々の動機や概念を上手く包括した呼び名が求められるように思える。「転嫁松」「サロゲート松」ではいまいちピンと来ない気がする。そもそも「嘘松」で十分という意見や風潮もあるかもしれない。

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