ネット社会/IT業界の変化を分析してみる【2017年の現状】


ネット社会になって変わったと思うこと等色々。スマホの普及によるネットユーザ層の変化などについての考察。

目次

女性や若い世代を意識したサービスが増えた

これまでコンピュータやインターネットの世界は男性主体、オタク/マニア主体の世界という印象が強かった。

スマホが普及し誰もが気軽にネットにアクセス出来るようになった時代から、女性や若者を意識したサービスがやたらと増えたように思う。

これまで以上にネットが大衆化している。ネットバブルの波が再びやってきている。

他人からの評価に依存するようになった

自身の価値観よりも周りの価値観に合わせるようになってしまった。

SNSの普及によって人との繋がりが今まで以上に強くなっている。発信側も相手に合わせた対応を無意識にとるようになってしまっているのでは。

質問サイト・ブームの再来

気になったこと気軽に質問できるようなサービスが増えた。特に技術系の質問サイトが多い。既存の質問サイトで既に解決済みの質問や、Googleで検索すれば直ぐに回答が見つけられるような質問でも、わざわざ質問サイトで気軽に質問する人たちが増えている。応える人達も人たちで、参考文献や解説サイトへのリンクを提示するわけでもなく、質問に対して懇切丁寧に答えてしまっている。車輪の再発明ならぬ、車輪の再説明・車輪の再執筆のような現象が起こっている。

質問者のレベルに応じた適切な回答が求められる時代がやってきているのではないか。
これらは、わからない問題を隣の席の生徒に尋ねるという、現実世界ではよくみる光景に近いものを感じる。ネット世界はいま現実世界のそれ近づこうとしているように思う。ネットと現実の境界が非常に曖昧な物になりつつある。
当面は現実世界で行われていたことをネットの世界で再現することが求められる時代になるのではないか。これは新たなネットサービスを生み出すチャンスでもある。フリマアプリはその良い一例だと思う。

他人の問題点を指摘する

専門的なブログ記事や技術系のブログ記事・解説サイトを書くことが、マニアやエンジニアのステータスになっていた時代があった。ただ今は誰もが気軽に記事を書ける時代となり、記事を書くこと自体に大きなメリットがなくなりつつある。

逆に今は他人の記事の問題や勘違いを指摘することが自己顕示の手段となっているように感じる。プラットフォームの存在やソーシャルログインがそれらを後押ししている。ネット活動を準実名的/準匿名的に行うユーザも増えている。

自己表現の手段が多様化している。一方的に表現するよりも、人と人との繋がりに重点をおいた表現方法が求められているように感じる。今後この流れは実名ネット社会の訪れによって更に加速していくのではないか。

サイトのページタイトルが過激で大げさになった

ページタイトルに釣られて記事を読んでしまう機会が増えた。実際に読んでみると大した内容でないことが多い(このページみたいに)。

今は誰もがネットに記事や作品を公開出来る時代になっている。数ある作品に埋もれてしまわないようにわざと目立つようなタイトル付けや大げさな宣伝を行うようになっているように思える。

この手のやり方はもう何年も前から「はてな」ユーザが多用していた。最近は一般的なブロガーがこの手法を使い始めている。

なぜライトノベルには過激なタイトルや大げさなタイトルが多いのか

これはライトノベルのタイトルがやたらと長く過激なものになっていく現状にも通じるものがある。ただライトノベルの場合は、インパクト性の他に情報量が意識されているように思える。「あらすじ」と同等の情報量を「タイトル」側に詰め込もうとしているのではないか。

昔は「あらすじ」が良ければ作品を買ってもらえる確率が高まった。ただ現代のような様々なラノベ作品が乱立する時代では、作品のあらすじを読んでもらうまでの敷居が非常に高くなっている(特にネットで本を探すような場合は商品ページを開く手間が掛かるためなおさら面倒である)。

結果としてタイトルで読み手を惹きつけるようになってしまったのでは無いだろうか。作品の概要や世界観を「あらすじ」で伝える時代から、「タイトル」で伝える時代になっているように感じる。

無責任な批判家が増えた

ソースをしっかりと読まずに物事を批判する一般大衆が増えている。一時ソースを調べず、二次、三次ソースの内容だけで物事を判断してしまっている。

また記事のタイトルや出だしだけで、全体の内容を把握したつもりでいる者も多い。曖昧な理解で物事を批判しようとする無責任な人達が非常に増えた(SNSの気軽さもこの無責任さを後押ししているのではないか)

一般人が知識人・評論家を批判する時代

評論家や知識人の考えに対して意見が言える時代になった。メディアとしての媒体がテレビや雑誌と限られていた時代では、評論家や知識人に対する意見や批判は敷居が高く制限される機会も多かった。

ただ今はTwitterやFacebook等のコミュニケーションツールで気軽に他者を批判できる時代である。自分達の意見や考え方を社会に発信できる時代でもある。他人の偏った考えに対してNOと言える時代となっている。

また自分達のほうが賢いという考えを持つ者も多くなった。 実際、彼らの発言には既存の専門家や評論家よりも優れたものや的を射たものも多い。ただ、その他多くの主張は客観性が乏しく主観的なものであることがほとんどである。

今日における評論家や知識人への批判・バッシングは、自分とは違う考えを持つ者への批判という側面が強く感じられる。恐怖や嫌悪感が滲み出てしまっているようなものがほとんどである。

なお有名人やYouTuber、演奏家への批判にも同様の解釈が当てはめられるような気もするが、こちらはどちらかと言うと嫉妬心や独占欲・自己顕示欲のほうが上回っているようにも思える。

今日のネットユーザが行う批判は「評論」ではなく、単なる「避難」であることが多い。評論家/専門家の意見とネット上の意見を同等に扱うことはまだまだ難しい。

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