無意識によって生み出される拒絶感について考える|Don't think, Sync

最近、アニメ作品をよく見るようになった。何よりも面白いのは、同じアニメを見ている周りの視聴者たちの反応である。

シリアス展開を嫌う人。
メタ発言をやたらと毛嫌いする人。
ヒロインが純潔ではないと知ると怒り狂う人。
男性キャラの存在に嫌悪を示す人。
女性ばかりが出てくる作品を過剰に嫌悪する人。

世の中には色々な受け手がいるのだ。

彼らは声が大きく主張が強い。たとえそれが少数派の意見であったとしても、まるで多数派の意見のように受け入れられてしまうこともある。

受け手のニーズに敏感で従順な作り手はそういった意見に素直に対応してしまうかもしれない。結果として、非純潔の尖った登場人物は淘汰され、シリアス展開は減り、作品の奥行きや深みは損なわれる。それを補填するためには、新しい発想や奇抜なアイディアを取り入れ続ける必要がある。こうして日本のコンテンツ産業は今日もまたぶっ飛んだ作品を生み出し続け、さらなる進化そしてガラパゴス化の道を順調に突き進むのである。めでたしめでたし。

いまや作品は受け手によって形作られているといってもよい。受け手の意思がなによりも尊重される時代である。そこに作り手の意思は存在しない。作り手は受け手のニーズを汲み取るだけの機械へと成り下がっていく。このような仕事は将来、アマチュアや人工知能に簡単に取って代わられてしまうかもしれない。

ところで、私はシリアス展開や非純潔のヒロイン、作中のメタ発言を寛大に受け入れる心の広い受け手である。ただ、これらの展開を見ていると、時折なんとも言えない不安な気持ちに襲われることがある。

シリアス展開や非純潔設定、メタ発言、男性排除、女性至上主義的な設定によって、主張の強い奴らが騒ぎ出すんじゃないかという不安に駆られる(作者でもないのに、他人の意見や評価が気になるというのもおかしな話ではあるが)。そしてこの不安は次第に不快へと変わっていく。

つまるところ、私は内心ではシリアス展開やメタ発言を嫌っているのである。無意識による拒絶であるから、嫌いというほど大げさなものではないかもしれないが、要は苦手なのである。これは錯覚とも共感覚とも違う妙に不思議な感覚である。この拒絶は過去のトラウマや自身のメンタルの弱さ、価値観への否定や少数意見への同調に対する恐怖からくるものなのだろうか。シリアス展開を嫌う人たちがいるという事実と、それに対して何もできないでいる自身の不甲斐なさや、世間とのズレ、価値観の相違に対して嫌悪しているだけなのだろうか。メタ発言が嫌いなのではなく、それを嫌っている人間が嫌いなだけなのではないだろうか。これらの現実から目を背けようとする気持ちが、あの不安と不快の正体なのだろうか。

あるいは、我々オタクは自分たちの愛する文化が否定されることに強い不安を抱いており、メタ発言やお色気シーンが拒絶のきっかけや否定の材料にされてしまうことの危機感を持ってしまっているのかもしれない。つまり我々は文化を愛するあまりに、文化が否定されバッシングされることに恐れを抱いてしまっているのだ。自分たちの愛する文化が失われてしまうことへの不安があるかもしれない。そして何よりも自分の感覚や嗜好が否定されることを恐れてしまっている。もはや文化は自分たちの一部であり、それが否定されることは自分たちが否定されることに等しい

他人の評価に左右され、目の前の表現に違和感を覚えてしまう。これは世間から押し付けられる一方的な常識に対する違和感でもある。我々は世間の規範と自身の欲望との葛藤を迫られているといえる。やってはいけないと言われると余計にやりたくなってしまうように、我々はいつの日か後者の背徳感を頑なに欲するようになるだろう。社会の圧力が増していくほどに、人々は己の欲望を直視し、そのものをより強く求めるようになる。これまで人々は己の欲望や己の存在を直視してこなかったからこそ、社会の曖昧な規範や正義を信じ続けることができたのだ。

現代に生きる我々は、どうにも他人の評価や既存の常識によって物事の価値を判断してしまうきらいがある。

人の思想や物事の考え方というものは、意外なほど他人の意見や既存の考えというものに影響されやすい。一人の人間が「西瓜は果物だ」を言い出せば、他の人間も同じように西瓜を果物として受け入れる。そしてそれはいずれ彼らの常識となるのである。「西瓜は厳密には野菜の仲間だ」などと言い出すお節介な人間はもはや少数派となる。しかしこの少数派もいずれ多数派に転ずることがあることも忘れてはならない。常識は絶えず揺れ動いている。それをどう受け入れるかが問題なのだ。

人との繋がりが密接な現代では、自身の考えを的確に捉えることが難しくなりつつある。思考というものは実に流動的で、周りの意見や価値観、自身の感情にさえ左右されやすい極めて曖昧な存在である。

普段我々が目にしている物事への評価や批判、風潮も、無意識の集合として映し出された虚像にすぎないのかもしれない。

Don't sync, Think.

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