アニメ「私に天使が舞い降りた!」5話|ラスト考察・感想

ラストの演出がなかなか良かったです。

このBパートのラストは、二人が風呂に落ちるという印象的なシーンで幕を閉じるのですが、面白いことに、これは幼稚園児時代のドジっ子「小依(こより)」が木に引っかかった風船を取ろうとして石垣から落ちてしまうシーンとの対比になっているように感じます。

以前の時は「小依」一人の落下でしたが、今回は、おっとり系の「かのん」も一緒に落ちる展開となっています。

以前は心配で泣いていた「かのん」も、今回は笑顔で、お互いに喜び合っています。

以前は見守る側だった心配性の「かのん」が、今回は「小依」と同じ当事者として危険に直面するという形になっています。

これの何が感動的かというと、

「かのん」は「小依」を守ろうと身を挺して風呂に飛び込んだわけですが、これによって、「かのん」は「小依」と同じ経験をし、「小依」の世界を知ることになるのです。

「小依」の純粋さを知るのです。また「落ちても何も怖いことはないんだ」ということを知ります。きっと「かのん」は「もう何も心配することはないんだ」と思えるようになるはずです。そして何より相手を守るための行動を起こせたということが、彼女にとって大きな自信となったことでしょう。相手を想い行動できる「小依」に近づくことができたのです。

それらは本来「小依」だけの知る世界でした。

その世界を知ることで「かのん」は、あの前向きな「小依」という存在をより深く知ることになります。そして彼女と対等な目線でお互いの世界を見つめ合うことになるわけです。

最後のシーンでの二人の笑顔は、二人が同じ世界を知って、お互いがより深い絆によって結ばれたことの象徴となっているように思います。

二人を縛る縄の結び目は解け、二人の絆はより強く結ばれることとなるのです。

「みんなから頼りにされて尊敬されたい」と口にしていた「小依」ですが、この回を観て分かったのは、彼女が他人のために危険を顧みずに行動する存在だったということです。そして、それは彼女が「尊敬されたい」ではなく「人のためになることをしたい」という本質を持っていることを知るに十分なものでもありました。Aパートで、主人公の「みやこ」お姉さんは、自分が「みんなに尊敬されるような凄い人」ではないことを二人に打ち明けますが、それは周りのイメージと実際の本人の本性がまるで異なっているということの示唆であり、これは前半パートの「みやこ」の本性と、後半パートの「小依」の本性で、対比の関係にあることが分かります。おそらく「かのん」はこの「小依」の本性を初めから知っていましたが、今回はそれを対等な存在として身をもって理解することになったのではないかと思います。尊敬する相手に近づくことで心の底から相手を理解できるようになるということはかくも貴く、今回の話は、今後の両者の関係が、お互いを支え合うのみならず、高め合うものとなることをも感じさせてくれました。この二人だけの中で完結する強固な世界がそこにはあるのです。
ちなみに「小依」の「尊敬されたい」という願望は「人のためになることをしたい」という自らの気恥ずかしい本心を押し隠すものとなっているように思います。「小依」が「みやこ」のカミングアウトに対して我が身のように動揺するシーンと、本心をさらけ出した「みやこ」が「かのん」に優しく受容される姿を指をくわえながら見つめる「小依」のシーンが今回特に印象的でした。もっとも指をくわえるシーンに関しては、「自分もお姉さんを慰めたかった」「自分が真っ先にそうするべきだった」「でも自分の柄じゃないし気恥ずかしい」といった気持ちの表れという可能性が高く、こちらは後に「小依」が「かのん」を思いやり励ますシーンにも繋がっているのではないかと思います。この回には愛情で人を救う「かのん」と、勇気で人を救う「小依」という対比があり、両者はお互いのやり方をリスペクトし合い、あまつさえお互いがお互いのやり方を実践し応え合うことで、両者はより強く繋がり合う形となっていたのではないかと感じました。
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