深夜アニメのエンディング特有の喪失感と切なさ(物寂しさ)

深夜アニメのエンディングって何かいいですよね。

切ない曲調に深夜の時間帯ということも相まって、妙に物寂しい気持ちにさせられます。

次の日には学校の授業や会社の仕事があるというのに、夜遅くまで起きて深夜アニメを見ていた当時の自分は、あの妙な寂しさに堪らずベランダに飛び出して、しばしば夜の風にあたりながら夜空を眺めていたものです。

自分は何になりたいのか。
このままでいいのか。

そんなことをふと考えさせられるんですよね。

アニメのエンディングテーマは作品のテーマと対照的な曲調であったり、二次元オタクカルチャーにそぐわないJ-POP的なバラードであったり、前向きで元気な感じの曲調も多いのですが、しかし本編と合わせて見ると、それがどこか切ない不思議な魅力を放ちます。そのアンバランスさに妙に心を揺さぶられてしまうのです。

この時間に一人取り残され置いて行かれてしまったかのような、まるで世界が自分から遠く離れていってしまったかのような、そんな疎外感と喪失感を覚えてしまいます。作品の世界から突き放された後に帰りついた現実があまりにも生々しく直視し難い存在に感じられてしまいます。

同じような感覚は本編の最終回を観終えた後にも感じられます。時にはそれが不快で仕方なく感じられることもあり、まるでそれから逃れるかのように作品の原作や同人誌を買い漁ったり絵を描いたりして作品世界の延長を求めることもありました。

このような感情を揺さぶるような表現というものは、場合によっては気持ちの負担になってしまうこともありますが、しかしエンディングと共に流れる優しい音楽がその不安や焦燥を和らげ、心地のよい喪失感に変えてくれているようにも思います。

自分の置かれている状況や気持ちの状態によって、エンディングの聞こえ方や見え方がまるで変わって感じられるというがアニメEDの面白いところです。

エンディングというのは本編以上に受け手の人生を深く問いかける存在になっているのではないでしょうか。現実を突き付けられる憂鬱な時間ではありますが、しかし自身の不安や焦燥と向き合う勇気を与えてくれるようにも思います。

通信技術の発達により無数のコンテンツを短期間の内に次から次へと消費できる現代は、便利な時代ではありますが、しかし一つの作品を長い時間かけて噛みしめる機会は明らかに減ってしまいました。そればかりか我々は自らの日々の人生さえも満足に噛みしめることなく生きています。

目まぐるしく変化する現代の忙しない日常では得られないものを、深夜アニメは与えてくれるように思います。

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