アイドルものが流行る理由|オタクはなぜ少女に想いを託すのか

「アイドルもの」や「女主人公」の作品が受けている理由は、どぎつい「男社会」や「男の願望」が、やさしい女性の皮をかぶせた形で表現されている所にあるのではないだろうか。

どの作品にも「友情・努力・勝利」「ど根性」のフォーマットが入っている。

平成の少年ジャンプ漫画の世界観とか、昭和のスポ根、体育会系のヤンキーな部活動、意識高い系ベンチャー・ブラック企業などのガツガツとした陽キャ的な世界を、少女の可愛らしさでマイルド化したのがアイドルものなのだと思う。

現代の若者は草食化によりひ弱な存在となり、彼らはもはや強い男主人公に共感できなくなってしまった。だから彼らは満たされない社会的な欲求や使命感を少女たちに委託するようになったのだと思う。※1

そうやって「根性のある男」の主人公を排除したことで「弱い自分」を意識しなくて済むようにもなったし、「少女はか弱い存在である」という前提もあるから、受け手は安心して作品を手にすることができる。弱い少女と弱い自分を同一視して感情移入することだって可能だ。少女たちの柔らかなオブラートに包まれたこの手の作品は一見すると無害で優しいものに見える。

しかしそんな受け手の屈折した意識とは裏腹に、作品内で描かれる「純粋で度胸のある少女たち」は決してひ弱な存在などではなく、むしろ尊敬と称賛に値するほどに力強い存在として映るために、受け手はそのギャップにいたく感動(反省)させられてしまう。※2

アイドルものや女主人公の作品が売れる理由はそこにあるし、逆にこうでもしないと自信のない現代の若者に作品を受け入れてもらうことが出来なくなってしまっているというのが、この社会の現状なのだと思う。

※1 不景気の時期にアイドル業界が盛り上がるという法則も、この人々の自信喪失で説明ができるだろう。アイドルというのは景気の波によって生かされた存在であるとも言える。落ち込んだ人々を励ますことがアイドルの役割であると考えるならば、その人々が立ち直って自分たちの人生を歩み出す時にアイドルはその役目を終えることとなる。そこにアイドルという存在のもつ儚さがある。
※2 なぜオタクは物語の主人公やアイドルに夢中になるのか。それは自身の果たせない願望を代わりに担ってくれる他者の存在に救われるからだろう。だから隠れた才能や血統を持った主人公を受け入れることさえできてしまう。無力な自身への肯定と許しを得るための行動、それが「オタクの消費意欲(前向きな気持ち)」と「推し文化(奉仕・布教)」の本質ではないか。人々が神を信仰するように、彼らもまた自らの生き甲斐と救いを求めて他者を推している。彼らは自らの人生を何者かに委ねることによって安心を得ている。それが彼らにとっての生きる目的であり希望ともなっている。それはフィクションの功罪とも言える。
オタクは心動かされた後の人生を、何かを成し遂げるために生きるのではなく、心動かされたそれと同じ興奮を求め再現することに費やしている。
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