なんでもかんでも批判しないと気がすまない人たち

現代のネット社会には、他人の考えやニュース記事、評論にイチャモンを付けないと気がすまないような人たちが多く存在する。

特に「2ちゃんねる」はもう、小うるさいオッサン達の社交場と化してしまっている。「最近の若者はなっとらん!」みたいなスタンスが主流になってしまっているし、何かと難癖つけたがる。たぶん2ちゃんねらーの高齢化とカルシウム不足が原因だろう。

こと「Twitter」などの準匿名のSNSでは、自身の存在や知識量、能力を誇示するために物事を否定したり過激な言動を行う傾向が見られる。いわゆるマウンティングのようなものであり、自分よりも弱い存在や絶対的な存在を否定することで、自身の優位性を示したり、地位や権威、脅威を高めようとする。

または思春期特有の見栄や反抗心、対抗心もあるかもしれない。嫉妬心からの悪口、被害者意識からの反論や文句、他人を否定して自身を正当化する、根拠のない優位感に浸るために事あることにケチを付けあら捜しに徹する。これらの欲求を短絡的に満たそうとすることは、自身の未熟さを曝け出す行為にほかならない。

否定的な姿勢や斜に構えた態度、攻撃的な言動は、他人から見れば近寄り難くまた不快な存在である。自らの醜態を晒すことのないよう自制してもらいたいものだ。

なお「Togetter」については、本文内のツイートと、コメント欄のツイートで真逆の反応が見られる傾向がある。この場合の批判や否定、バッシングには、記事作成者の一方的な報道姿勢や傾向的な主張に警戒・反論する意図が強く感じられる。主語の大きな主張や、多数派のように振る舞う少数派に脅威を抱いているのである。「2ちゃんねる」や「Twitter」「はてなブックマーク」で飛び交う批判やイチャモンにも、これらと同じように、脅威に対する無意識の拒絶が多く含まれているのかもしれない。

殺伐とした世界で憎悪をユーモアに変える

「はてなブックマーク」も一昔前は「2ちゃんねる」や「Twitter」と同じく世紀末やスラム街のような雰囲気を漂わせていたが、しかし最近はそれも徐々に変わりつつあるように思える。

昔のはてなブックマークは批判やバッシングばかりをする怖いお兄さん達の溜まり場のように思えたが、最近はオブラートで包んだような否定や皮肉も多く見られ、上手いこと言う人たちの大喜利会場みたいにもなっていて、ずいぶんと文明的な感じがする。大人の対応という感じがしてブックマーカー達の成長や成熟度合いが感じられる。

ずいぶんと丸くなったなという印象である。頭ごなしに否定するだけではなにも生まれないということにようやく気づいたのか。物事への不満やヘイト、モヤモヤとした気持ちをユーモアや笑いに替えるというのは良い傾向だと思う。嫌悪を直接的に表現するよりも、コメディアンよろしくユーモアを交えて風刺したほうが好意的に受け止められやすく、星や賛同も得やすい。

似たような風刺や自虐の文化は以前から「2ちゃんねる」や「Twitter」にも見られていたが、バランスに問題があった。良いシステムやコミュニティを作り上げるにはその辺のバランスをいかに調整していくかが重要となる。「はてなブックマーク」はその辺のマネジメントが非常に上手くいっているのかもしれない。

もっともこの手の世界は世代の流入や交代によって何度も同じことを繰り返すため、あと数年もすればまた、治安が悪く刺すか刺されるかの殺伐とした怖いインターネッツへと回帰してしまうかもしれない。そうしないためにも、現世代は次の世代のためにより良い文化を築き残していかなければならない。

ところで、スターやいいねにマイニング機能を組み込むことで投稿者や被投稿者に金銭的な対価が還元されるような仕組みが生まれてくると、現在の投稿やコメント、レスポンスのあり方は大きく変わってしまうかもしれない。これまでの常識や文化は通用しなくなってしまうだろう。

批判飛び交う現代ネット社会に何が必要か

現代に生きる我々は、物事は批判するよりも褒めることのほうが遥かに難しい、ということを自覚するべきだ。ためにならない批判は誰にでもできるが、心のこもった称賛はそれ相応の教養と感受性、寛容さがなければできない。批判による原動力よりも称賛による原動力のほうが遥かに勝るということも知るべきだ。

世の中には褒められて伸びるタイプが多くいる。とりわけ褒められた経験が無い人たちは、他人から褒められるとついつい自身の能力を疑いたくなる。あれで本当に良かったものかと不安になる。もっと上手いやり方があったと反省する。そしてこれが次への原動力や成長へと繋がっていくわけだ。

誰かを批判したい気持ちになったときには、いっそのこと褒め殺すつもりで相手を有頂天にさせたり不安な気持ちにさせたりするのもまた面白いのではないか。それによって潰れるか成長するかはその人次第である。

最後に

我々はあまりにも他人に無関心すぎるのではないか。他人の表面的な印象や既存の価値観だけで物事を評価してしまっている。もっと他人を知り、相手を思いやる気持ちも、時には必要なのではないか。間違いを正すだけではなく、多様性を受け入れることもまた必要なのではないだろうか。このいつ叩かれるかもわからない殺伐とした世知辛いネット社会には今、建設的で愛のある批判が求められているように思える。

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注釈

ネット上の誹謗中傷はコミュニティの形成にも悪影響を及ぼしかねない。このような行動が当たり前のように行われる環境が出来上がってしまうと、多くのネット住民が同調意識を持つようになる。無自覚のうちにネットリンチ(ねっとイジメ)に加担してしまうユーザも出てくる。ネット上のモラルや秩序は乱れていく。
SNS上で影響力のあるユーザやアルファツイッタラーは、言わばクラスのリーダー的存在である。ボス猿である。自身の影響力を自覚し、自身の発言に責任を持たなければならない。
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