ネット上の臭い言い回しに感じる、あの妙な小憎たらしさは一体何なのだろう。
ふりかけにマヨネーズという無限に食べられる頭の悪いものをキメてる。 2億年ぶりに食べた焼き肉が旨すぎて無限に震えてる。 カップ麺に生卵をinしてお湯を注ぐやつ、最高すぎて無事に勝利してる。
うまいことを言ってやった感がすごい。
犬がはしゃぎ回る姿に滑稽さを感じてしまうのと同じように、ツイッターでイキり回る人々にもまた同質の滑稽さが感じられる。
陰キャがしたり顔で陽気な自分を演出している感じがそこはかとなく漂っているのも良い。
個人的にはこの手の言い回しは好きな方だし、好きすぎてご飯三杯はいけるのだが、しかし時に何とも言えない気持ち悪さや、ゾワゾワとしたものを感じてしまうのも事実だ。とりわけレシピ系のアクマ文体から醸し出される珍妙なテンションには底知れぬ狂気さえ感じられる。あれは一体何なのだろう。
推しの声優が既婚者だと知って椅子から転げ落ちてる。 コンビニで買ったロールケーキが旨すぎて思わず悲鳴を上げてしまった。 牛肉とワサビが相性良すぎてゲラゲラ笑ってる。
自身の状況を客観的かつコミカルに描いており、いかにも冗談として言っていることが分かる。
人々の関心や共感を得るために、わざと大げさに表現しているのだろう。
しかし同じような言い回しでも発言者によっては、注目を浴びたいという必死さが感じられたり、思ってもいないようなことを平気で吹聴するその姿に、ズルさや、小賢しさ、無責任さ、見苦しさを感じてしまう。※1
次の例文も秀逸なので声に出して読みたい。
オタク、コミュニケーションに慎重なので会話の始めにやたらと「あっ」とか「あのー」とか「すみません」とか付けがち。 セブンカフェのコーヒーメーカー、ほんとデザインの敗北って感じだ。
物事を俯瞰的にとらえており、書き手の賢さが伝わってくる。
書き手のイキり高ぶるドヤ顔が目に浮かぶようだ。
発言者によっては、強がって背伸びをしているように見えたり、あるいは「自分は違うぞ」と虚勢を張っているようにも感じられることがある。
私が思うに、あの手の言い回しに感じる気持ちの悪さや違和感は、身の丈に合わないノリや言い回しを用いる者たちに対する不信感でもあるのではないだろうか。
あの手の言い回しに感じる何とも言えない胡散臭さと不気味なテンションは、発言者の人格と表現の内容のアンバランスさに依るところが大きいのではないかと思う。そしてその違和感は、発言者を若者やオタクと見なした己の偏見的な前提によってもたらされている面も大きい。
また同じように、陽キャの若者がネット文化から引き継いだ秀逸な表現を無邪気に扱う様にもまた、同質のアンバランスさが感じられる。
あれらはつまるところ、背伸びをしようとする未熟な若者やオタクに抱くある種の侮蔑の感情なのではないだろうか。自分の存在や感情、物事を必要以上に明るく大きく見せようとする行為や、目立ちたがりの言動に、大人気なさや見苦しさのようなものを感じてしまったのである。そして己の利益のために既存の文化を都合よく我が物顔で利用しようとするその姿に、文化盗用的な無遠慮さをも感じ取ってしまった。大衆におもねる俗物的な振る舞いに嫌悪や嫉妬のような感情を抱いてしまったのだ。
近年では承認欲求を満たすための二番煎じの発言も多く見られ、同じような言い回しでもその表現の質や印象は年々悪くなっている傾向にある。それは、使う側が表現の質と価値を落としてしまっているということでもある。大衆はまるで表現をブランド品のように粗末に消費しているのである。
だからこそあの手の言い回しは一時のトレンドや流行り言葉として廃れていく宿命にあるとさえ言えるのだ。大衆に消費された表現はその本質的価値を失い、従来の輝きを取り戻すことは決してない。時代が変わり時が過ぎた後に、その一部が再評価され、スポットライトの明かりに照らされるのみである。ネット文化まじ儚いから魚拓取ろう。
要するに我々は表現そのものを嫌悪しているのではなく、それを使う側の人たちを嫌悪しているのだ。あれはまさにオタク嫌悪やイキリ嫌悪の類なのである。表現の奥にある発言者の動機や思惑が透けて見えてしまい、それに不快感を覚えているのだ。そして恐ろしいことに、我々は過去の経験や現在の状況から発言者の人格を独自に想定し、そのイメージされた対象に対して違和感や不信感を抱いてしまっている。相手のことを理解しないまま根拠もなく不当に疑い、不必要に嫌悪してしまっているのである。
ちなみに、ネットスラングやオタク用語を扱う現代の女子高生(JK)たちに不快感を覚えないのは、女子高生という存在を純粋な存在として見ているためだろう。彼女たちの無邪気な振る舞いに醜い欲望や悪意を感じ取ることができず、不快感に繋がらないのである。
ネット上の人々が日々抱く表現嫌悪の感情には、おそらく大きく分けて四つのパターンがあり、それには、若者や女性への蔑視に基づいた両者のパターンと、陰キャや陽キャへの偏見と嫌悪に基づいた両者のパターンがある。
分かりやすく例えるならば、「オタクのくせに生意気だ」というのが陰キャ嫌悪であり、「リア充がワイワイ馴れ合っていて小憎らしい」というのが陽キャ嫌悪である。そしてそのどちらの嫌悪が強く感じられるかは、受け手自身の人格の違いによって大きく分かれる。
蔑視の感情については、相手と自分を同一視することによってより強く表れる。感情をむき出しにして本能のままに振る舞う者たち対して、みっともなさを感じ、そしてそれがまるで自分のことのように恥ずかしく感じられてしまう、といったようにだ。
他にも中年嫌悪・古参嫌悪のパターンも考えられるが、これについてはまさにこれからといったところだろうか。現代の若い世代が上の世代のオヤジギャグに不快感を覚えるのと同じように、未来では若いネットユーザが古いSNS世代の使う独特な言い回しに嫌悪感を示するようになるかもしれない。
震えるインターネットおじさんについて
cup_men 2048/05/09 10:38:12 おっさんのユーザーってよく震えてるよね wasabi 2048/05/09 10:43:29 ああ、そういう人たまに見かけますよね 体が冷えやすいのでしょうね seven_coffee 2048/05/09 10:43:58 体温維持機能の低下が心配です
【Part 13】あつまれ おっさんの森【旧世代限定】
IKIRI_OYAJI 2048/05/10 08:34:15 おっさん俺氏、若者に心配されすぎてて泣いちゃった broken_chair 2048/05/10 09:49:58 草 それ皮肉やぞ IKIRI_OYAJI 2048/05/10 09:51:03 え、ちょっと待って ya_ki_ni_ku 2048/05/10 09:51:52 待たない IKIRI_OYAJI 2048/05/10 09:52:35 ちょ最後まで言わせて・・・ furi_cake 2048/05/10 09:53:22 www IKIRI_OYAJI 2048/05/10 09:54:07 なにわろてんねん(怒号) IKIRI_OYAJI 2048/05/10 09:56:44 最近の若者、容赦なさすぎて辛 流石にその心理攻撃は芯まで届く
こういうそこはかとなく明るいポジティブな太めのオタクが割と好きなんだけど、伝わってくれ。
補足
※1 あの手のイキリ文体では、どうしても言葉の軽さが目立ってしまう。口先だけで本心かどうかもよく分からず、無責任さが感じられてしまう。
発言者によっては、根の暗い性格の人やオタクが無理をして明るく振る舞っている感じも伝わってくる。
女性の場合は、自分という主体を強く前面に押し出したいという意識が感じられてしまう。彼女たちは自身の振る舞いや、それに伴う周りからの反感を過度に意識して、しばしば婉曲的または自虐的な表現を取ろうとするが、しかしそれが逆に不自然な表現として周りに受け取られてしまっている。これは「嘘松」的な表現においても同様の傾向が見られる。
ツイッター特有の臭い言い回しからは、周りから好かれたい・認められたいという願望が薄っすらと感じられてしまう。嘘のような話をしたり、必要以上に物事を誇張したりする姿に、周りから気に入られたいという必死さが感じられる。バラエティ番組や再現ドラマによく見られるような現実離れした安っぽい演出に興ざめしてしまう。他人の自己満足や主義主張を押し付けられているように感じてしまう。
ネットの世界で人目を気にすることなく遠慮なしにキャラクター性を押し出す人々に、異質さやみっともなさを感じてしまう。それが作られたキャラ性であればなおさら冷めてしまう。現実世界の価値観で考えれば考えるほど、それらは顕著となる。現実世界の常識から逸脱した大げさな態度や誇張された意識を受け入れることができない。
相手のそれが、純粋は発言ではなく、人気取りのための利己的な発言に見えてしまう。相手の顔や本心が見えないため、どうしても違和感や不信感を抱かずにはいられない。
本来のものとは異なる自分を演じることによって、本当の自分を守ろうとしているようにも思える。素の自分をひた隠そうとする態度が透けて見えてしまうのだ。そのような態度に不快感を覚えてしまうのは、そこにある種の同族嫌悪のようなものがあるためだろう。
ネットの世界では皆が必死になって偽りの自分を演じている。そしてその姿は、他人から見れば滑稽極まりないものであり、本人もそれに気づいているはずなのに、だれもそれを止めようとはしないのだ。