YouTuberのサムネにありがちな驚き顔・バツポーズが嫌い

口をOの形に開けて大げさな驚き顔を披露するYouTuberのサムネ画像、あれが凄く苦手で嫌い。あと腕でバツマークを作って怒ったような顔するやつとか、両手で斜め上を指差しするやつとかも嫌い。

大げさな演技が恥ずかしいのと、我が見えないところが不気味。何も考えずに周りのマネだけして安心している感じもダサい。思ってもいないようなことを平然とやって周りに媚びてる感じがして信用ならない。ひょうきんなサムネと大したことのない内容だけで視聴者からすごいすごい言われるのは正直なところ羨ましい。

ヤフオクの「ノークレームノーリターンでお願いします」とか、ツイッターの「FF外から失礼します」、アフィリエイト記事の「いかがでしたか?」と同じ姿勢が感じられて、なんか冷めてしまう。一気に小物感が出てくる。周りと同じことをしていれば安心、強い人に付き従っていれば安全、というネトウヨ的スネ夫根性をも感じる。

ああでもしないと再生数が稼げないという事情はあるだろうし、センスのないガキ大衆を相手にするのも大変そうで、本人たちにも葛藤はあるのだろうけれど、いつまであれらを続けるつもりなのか問いたい。形式美みたいになっているけど、滑っているようにしか見えないし、この業界が一向に進歩していないことを感じて残念でならない。

しかし二次元のバーチャルYouTuberだと許せてしまうから不思議なものだ。

主体が曖昧でリアルを感じさせないのが良いのだろうか。パロディや皮肉・自虐の姿勢も見出しやすい。あと大人の真似をする子供みたいな無邪気さも感じられて微笑ましい。ああでも三次元のロリが同じことをしていたら幻滅する。人の欲が垣間見えてしまうと途端に不快を覚えてしまう。親や作家の影が見えると萎えてしまう。

おおげざな表現というものは「自然ではない」ため、私たちはそのことに対して拒否感を覚えてしまうのかもしれない。二次元はその点を割り切って見ることができるため、不快に繋がりにくいのだろう。

やはりどうあがいても三次元は二次元には勝てない。

あれは人の理想や幻想を究極に体現した存在だからだ。声優オタクになりたがらない人たちはその幻想を壊されたくないという意識が根底にあるためだと思う。演じられた存在は見たいが、演者は見たくないという、実にワガママな願望を抱いている。

かつて「女子高生は何をしても許される」時代があったような気がするが、しかしJKのリアルへとアクセスが容易となった現代では、JKに幻滅する男たちも増え続け、今ではかの神秘のイメージが二次元美少女へと大きく奪われつつある。二次元美少女コンテンツが巷にあふれるようになったのは、オタクコンテンツが市民権を得たからではなく、三次元に失望する人たちが増えたためと考えることもできるだろう。

リアルが満たされていないから、私たちはオタクコンテツに魅せられてしまうのだ。リアルを知らないから、私たちはリアルの充実した人々の無邪気さを疑ってしまう。

とにもかくにもYouTuberは今すぐ肉体を捨ててバーチャル美少女に転身するべき。
本当にバーチャル美少女は何をしても許されるから。

だがVTuberの地声、これだけは許せねえ。
VTuberは二次元の価値を毀損する存在だと思う。

情緒不安定な地雷系女子がロリータファッションのイメージを落としたように、VTuberが二次元美少女のイメージを消費し尽くそうとしつつある。

もうAITuberしか勝たん。

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