人工知能の進化 人類の退化|テクノロジーは人類を衰退させる

作曲の自動化と音楽家の死

最近の音楽ソフトは自動作曲機能というものを備えているらしい。鼻歌を元に譜面やコード進行を自動生成するような補助的なものだが完成度はかなり高いと聞く。

支援者としての人工知能

今後これらの支援機能がより発達していけば、「自動アレンジ機能」やコード進行を元にした「メロディ自動作成機能」のようなものも出てくるかもしれない(両者を組み合わせたら一曲出来上がってしまうんじゃないだろうか)

人工知能を搭載して、より人間らしいアレンジを目指すことも可能になるだろう。ディープラーニングがそれを可能にする。またビックデータを活用して、その時代に最も適したメロディやアレンジを自動的に分析・生成してくれるような便利な技術も生まれるだろう。実際に、AIによるヒット曲を生み出す研究も既に行われている。

代替者としての人工知能

今後様々なテクノロジーが発展していくに連れて、それらの機能もより充実していくことだろう。既存の曲のジャズ風アレンジやテクノ風アレンジをかなりの完成度で実現できる時代もやってくるはずだ。映像に合ったBGMを自動で生み出す技術や、人の好みや作業に合った自分だけのBGMを即興で生み出してくれるような商品も売り出されるかもしれない。

本来人間がやっていた作曲や編曲という複雑で手間の多い創造的な作業を、コンピュータが代わりにやってくれる便利な時代がやってくる。初めのうちはちょっとした手直しも必要になるだろうが、学習機能とビックデータで直ぐになんとでもなってしまうだろう。素人がプロ並の曲を簡単に作れるようになる時代もやってくるかもしれない。

ただ、そういう時代が現実の物になってしまうと、作曲家・編曲家という職業は不要になってしまうだろう。少なくとも中途半端な作曲家・編曲家は簡単に淘汰されてしまうはずだ。

能力のない人間が簡単に淘汰されてしまう世界とはいかがなものだろう。才能がなくても夢に向かって努力しようとする人たちを拒む世界という見方をすれば、すこし残酷な世界のようにも映る。

人工知能の発展と人類の衰退

最近、人工知能やロボットによって職が奪われるようになるという話をよく聞くようになった。単純作業や肉体労働を伴う職種であれば、むしろ歓迎という向きもあるが、問題は創造性や論理性が求められる仕事までもが淘汰されてしまうのではないかという点である。

作曲家や編曲家、医師、銀行員、法律家、職人、プランナー、デザイナー、システムエンジニア等の専門職がその良い例だ。これらは結局のところ理論と経験の積み重ねによって成り立っている世界でもある。プロの技と言われているようなものも、理論がある以上は再現・模倣が可能である。人工知能が持つ膨大な理論と学習能力を前に我々人間の出る幕はないとさえ思えてくる。

専門家やプロフェッショナルが不要な時代がやってくれば、当然それらを志す人間もいなくなってしまう。各業界からは新しいスターが生まれにくくなり、歴史に名を残すような優れた人材も生まれにくくなる。

人工知能は人間の機会を奪い、向上心を失わせ、人類を堕落させる存在となりはしないだろうか。人工知能やコンピュータがこの世から無くなった時、我々人間には何が残るだろう。

人工知能が人間の代わりに優れた医療技術やアルゴリズムを生み出し、歴史を変え、未来を切り開く時代がすぐそこまで迫っている。人間の存在意義とは何なのか、人類が目指す先は何か、今一度考え直したいものである。

未来予想

プロとアマの区別が曖昧になる

人工知能やテクノロジーの発展によって、誰でも簡単に創作活動が行える時代がやってくる。人工知能の支援はプロフェッショナルとアマチュアの区別を曖昧にし、プロは次第に淘汰されるようになる。人工知能が人間を超えることは、人類の発展や進化を抑制することに繋がるのではないか。

能力のないプロやアマはすぐにでも淘汰されてしまうだろう。この現象は人工知能云々とは関係無しに既に起こり始めている。興味があれば「いらすとや」や「オープンソースソフトウェア」とその周辺を調べてみると良い。「いらすとや」を、「人工知能」や「ロボット」に置き換えて考えてみると面白い。

人の能力を測る手段が曖昧になる

今は作曲ができる人と言うと凄い人と思われる時代だが、自動で作曲・アレンジが行われる時代がやってくると、作曲をできることが大した能力とは思われなくなる。どんなに完成度の高い曲を書いても、本人がそれを書いたと証明することは難しい。

そのような時代の音楽家は自分の作った曲を自ら演奏することで自身を表現・誇示するようになるかもしれない。これからはライブ演奏やパフォーマンスが主流の時代へと回帰していくのではないか。受け手も同様に、機械的に生み出された曖昧な物よりも、人と人との繋がりによって得られるものを求めるようになるだろう。おそらくこの時代ではバーチャルアイドルの類も流行っていないのではないか。一般化はしても熱狂的に支持されることはないだろう。あるいは逆に、現代のオタクたちが架空のアニメキャラクターやそれを元にした二次創作に熱狂している現状を鑑みれば、たとえ生物的な自我の存在しないAIアイドルであっても、そのキャラクター性や性格に価値を見出すことは何らおかしなことではないのかもしれない。人々が求めているのは人間性や魂といった本質的なものではなく、単に自分たちの理想を映し出してくれる鏡のような存在でしかないのだ。偶像性が求められるアイドル業界と人工知能の相性はすこぶる良いのである。

人工知能を超えることが人類のテーマになる

自分たちの生み出した怪物と戦う未来というもの滑稽で面白いかもしれない。

今でこそ「人類 VS 人工知能」などと言って将棋業界・囲碁業界は盛り上がっているが、いずれこの対等な関係は成り立たなくなる。

もう人工知能が人間に挑む時代は終わり始めており、逆に今後は人類がAIに挑む時代がやってくる。

そして人間が人工知能に勝てなくなる時代もいずれ必ずやってくる。そうなると今度は人工知能同士の争いが主流になってくる。自動車メーカーがF1カーを作るのと同じように、企業が人工知能で競い合う時代がやってくるだろう(テクノロジーを見世物にしても結局は地味でつまらないものになりそうな気もするが。むしろ実際の競争は利益の伴うビジネスの世界で人々の目に見えない領域で繰り広げられるのだろう)。

人工知能に対する規制が始まる

企業間競争において人工知能やオートメーションの活用は常識のものとなっているだろう。

企業間の競争は人財 対 人財によってではなく実質、人工知能 対 人工知能によって成り立つようになる。競争は過剰なほど激化し、コストカットや最適化は際限なく行われるようになる。持つものと持たぬものの差は広がりを増し、人も次第に淘汰されていく。

人工知能やオートメーションの乱用は厳しく制限されるようになるだろう。自由競争におけるテクノロジーの乱用は取り返しの付かない自体を生み出す。

ベーシックインカムが当たり前の時代に

AIによって雇用が奪われる時代が始まる。AIの活用によって得た利益に多額の税金が課せられるようになる。AIが人間の代わりに働き、人間がその恩恵にあずかる時代が始まる。ベーシックインカムの運営はAIの働きによって支えられてゆく。国民年金の深刻な財源不足もAI関連の税金で補填が可能になるだろう。国民年金に代わる新たな制度への移行も考えられる。おそらくそれは高額医療に関わるものになるだろう。AIの活用が進んだ国と遅れた国の格差は広がりを増す。移民も大きく制限されるようになる。渡航者の入国には多額の税金が課せられるようになり、海外旅行は富裕層だけのものになる。

映画産業の活性化

映画に登場する俳優はCGとAIで置き換えられる。多くの俳優はAIが演じるようになる。シリーズ物の作品は初代の俳優が死んだ後も、CGを用いることで事実上の本人出演で次回作を作り続けることができるようになる。CGなので出演者を簡単に若返らせることもできる。登場人物の若い頃を描いたスピンオフ作品もCGで実現できるようになる(ハン・ソロのスピンオフ作品を、若き日のAI版ハリソン・フォードが演じる)。映画の世界に没入し、映画の世界やワンシーンを追体験できるようになる。映画のシーンを様々な視点や角度で体験できるようになる。ゲーム業界と映画業界の繋がりが強くなっていく。文章を映像化できるような時代が訪れる。個人が好きな小説を簡単に映像化・アニメ化して視聴できるようなサービスが生まれる。

能力のない人間は夢を持てなくなる

才能がなくても夢に向かって努力しようとする人たちを拒む世界がやってくる。全く歯の立たないAIという存在が大きな壁となるためだ。

この時代の若者は商業音楽家(作曲・編曲)や医師、銀行員、プランナー、デザイナー、SE・PG等を目指すこともないだろう。むしろ人工知能やロボットが出来ないようなことを目指すようになるはずだ。

演奏家やスポーツ選手、パフォーマー等、エンドユーザと直接触れ合うタイプの職業が花形になる。内向型の人間には生きづらい世界になるのではないか。

会社の運営が社長よりも優秀な専務の頑張りによって成り立っていたりすることがよくあるが、AI時代というのはこれと同じで、この優秀な専務や開発者・アシスタントを使いこなせる経営者や漫画家のような人が生き残っていくのだろう。これからは外交的な陽キャ達の時代といえる。大きなビジョンを持った人間を周りが支えるという構図は昔から何も変わらないが、支える側が人間からAIに取って代わられていくというのが恐ろしいところだと思う。真面目で黙々と頑張る内向型の人間には肩身の狭い時代となってゆく。そういう陰キャやオタクと呼ばれるような人間はAIと変わらない存在になっていくからだ。

「夢を持てなくなる」というのは少し大げさかもしれない。目指すものが変わるというだけの話だ。ただ、人工知能やロボットに取って代わられる職業がこの先増えてゆけば、我々人間が選択できる職業は限られていく。競争率は高まり、本当に才能のある人間だけが希望する職業や夢を掴める時代になる。能力のない人間は適正によってのみ職業を選択する時代になるだろう。本当の意味での実力社会が始まる。教育システムは大きく変わり、この時代では教養がなによりも重視される。また社会では特化型の人間が求められるようになる。

最後に

利便性の追求はいずれ自分たちの首を絞めることに繋がる。テクノロジーの発展と効率化、利便性の追求の果てにあるのは、我々人類の緩やかな衰退に他ならない。

人工知能を含む様々なテクノロジーは、あくまで我々個人の能力を拡張するためにあるべきであって、決して代替するためにあるべきではない。

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