競争社会は破綻し共生社会がやってくる

「自己実現」の時代が終わった後にやって来るのは「他者貢献」や「協力」「共生」の時代ではないだろうか。これからの貧しい時代はお互いに助け合わないとやっていけないから、競争社会や個人主義はこれからどんどんと廃れていくと思う。村社会の中で他者との繋がりや自身の役割を実感することに安心と幸せを見出すような生き方に回帰していくのではないだろうか。

現代の人々は既にもう「競争」を忌避し、他者との関係性を重視する価値観を取り始めている。オンラインサロンは「自己啓発」の場というよりは「馴れ合いの場」として機能しているし、メタバースはビジネスの場というよりはSNSやネットゲームのような共同体の場としての側面が強く求められている。オタクの推し活や美少女仮託は、自身の果たせない願望を他者に委ね、その他者を支える側に徹する振る舞いであると考えることができる。マイルドヤンキーの生き方は仲間との助け合いによって困難な時代を生きぬくという、まさしく人類の本能的な知恵である。若者の迷惑行為は、大きな社会よりも自分たちの小さな集団の方を重視するという意識の表れと言える(※2

これからの時代は「自分の居場所」や「自分の役割」を作ることが重要になっていくのではないだろうか。

これまでの社会では、自身の欲望を満たすための「富」と「地位」が求められてきた。これからは自分たちの安心を満たすための「居場所」と「役割」が求められていくだろう。※1

これからの衰退する社会では「他者」との幸せに価値を見出すことが求められる。

※1 これまでの競争社会では「自己」の幸せこそが何よりの価値と信じられてきた。だからこそ人々はそれが得られないことの苦しみに悩まされ、また他者を蹴落とし競い合うことの苦しみにさえも悩まされ続けてきたのである。ある者はそれを諦めて自宅に引きこもり、またあるものは心を殺して血反吐を吐きながらそれを追い求め続けた。「止まる」か「進む」か、その二者択一を個人に迫り、皆で「引き返す」という道を覆い隠してきたのが「自己責任」という言葉である。この社会が持続し続ける限り、人々がその呪縛から逃れることはできない。
※2 昨今問題になっている若者の迷惑行為は、大きな社会よりも自分たちの小さな集団の方を重視しようとする意識の表れである。彼らにとっては自分たちの所属する集団こそが全てであり最優先すべき存在なのである。群れの外では生きていけないことを、彼らはこの格差社会の中で敏感に察している。だから彼らは常に集団の中で周りの人々に気に入られようと振る舞い、ひいては集団の意思に従う形で迷惑行為へと走ってしまう。試し試される環境の中で彼らは自分たちの絆を深め合い、自分たちがこの世界で生きていることの実感を感じ合っているのだ。
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