三次元の仮想空間での活動なんて誰も求めていないのでは?
そもそもハイパーテキストをベースとするネット空間そのものが抽象的な仮想空間みたいなものなんだし、多くの人たちはその手軽さに十分満足しているように思う。
「ツイッターのタイムライン」や「ユーチューブのコメント欄」などといった個々の世界が既にあるのに、なんでわざわざ移動が面倒で束縛も強いメタバースの世界なんて求めるのだろう。メタバースで物事を完結できるほど人は単純じゃないし暇じゃない。俺のブラウザのブックマークバーの方がよっぽどメタバースしてる。
仮想現実のメタバースを求めるくらいなら、もういっその事インターネット回線ぶった切ってその辺の道端を散歩したほうが有意義なのでは。現実世界で本を読んだり映画を観たり、食べ物を分け合ったり、釣りをしたり野菜を育てたりしたほうがよほど豊かで実りある生活を送れるのではないだろうか。そのほうがよっぽどSDGsだと思う。
「どうぶつの森」や「ツイッター」の中に経済圏を作るとかならまだ分かるけど、ゼロから3DCGのメタバースなんて作ってもシェアは取れないし、投資詐欺の温床にしかならないと思う。
ゲームチェンジでワンチャン狙おうとするヨーロッパ人みたいなことする気なの?
仮想空間なんてものは空飛ぶクルマと同じで、子供の壮大な夢でしかない。なんで今この時代にそんな果てしない理想に付き合わなければならないのだろう。それはそれとしてもコレジャナイ感が強すぎる。
他人を騙して金儲けしたい人たちが過剰に持ち上げているだけなのでは。
ネトゲ廃人の亜種みたいな人たちが騒いでるだけなのでは。
メタバースに夢見ている人たちは今すぐモニターかち割って外に出たほうがいいよ。
他者との触れ合いに飢えているとか、居酒屋でするような他愛のない会話や雑談がしたいとか、そんな需要もあるのだろうけれど、今はそれも全てユーチューバーが満たしてくれているように思う。ただ、より強い「参加感」と発言権を求めるなら必然的にメタバースに行き着いてしまうのだろう。人間の欲望というのは果てしないものだ。人類はこれからも現実と相違ない世界をネットの中に求め続けるのだろう。なら現実世界を生きればよいものを、人々はその現実を放ったらかしにして虚構に虚構を重ねるように仮想世界の創造に勤しんでいる。辛い現実の代わりは求めるが、辛い現実を変えようとはしない。辛い現実からの逃避先としての仮想現実が求められているというのなら、昨今の人々の期待の意味も納得できそうなものだが、しかし早すぎるブームではないかという懸念は拭えない。
現時点でのメタバースというのはバーのような孤独を埋めるための居場所や、ゲームのような娯楽としての存在でしかないように思える。ちょうどブロードバンドが普及し始めた2000年当時のインターネットに近い状況にあるのではないだろうか。あるいは下手したらNetscapeの時代にまで遡る必要があるかもしれない。本格的に普及し始めるには順調に進んでもこの先5年以上はかかるように思える。スマートフォンの登場に匹敵するような技術革新も未だ起きてはいない。これから盛り上がりそうな面白い業界ではあるのだろう。ただその期待感や理想だけが先行してしまっているようにも思えてならない。技術と人が付いて行けずに失速してしまうような気もする。忍耐の求められる難儀な業界だと思う。仮想通貨やNFTの登場、ゲームエンジン・通信技術・VR技術の発達など、条件が揃いすぎた故に進まざるを得なくなった茨の道なのではないだろうか。
今後メタバースというのは既存のサービスの上に築かれるマイクロバースな存在となり、従来のイメージとは異なる形で人々の気づかぬ内に発展するものとなるのではないだろうか。人の理想が世界を作るのではなく、人々の文化や営み、技術の発展が世界を形作っている。メタバース界隈の胡散臭さはその摂理からの乖離ゆえにくるものなのではないか。思い通りの世界を作りたいという身勝手で無手法な個人の意志があまりにも途方なく幼稚でどぎつい物に感じられてしまうのだ。
個人的には仮想現実よりも拡張現実の方がそれなりの実用性と現実味があるように感じられる。複合現実に至っては実理性ともに高く、これこそがテクノロジーの目指すべき理想形であるとさえ言える。もっともいずれの技術もヘッドマウントディスプレイや角形のモバイル端末を用いないレベルにまで進化しない限りは普及も起こり得ないだろう。
もういっそ脳に電極ぶっ刺す未来に全振りしてはどうか。