不幸な時代の大衆は戦争を求める|格差社会と欲望が暴力を生む

現代は異常な格差社会だ。

金持ちはより金持ちになり、貧乏人はより貧乏になる。

企業はあらゆる手を尽くして労働者を搾取している。
もはや低賃金・長時間労働が当たり前の時代となってしまった。
なのに人々は不平等な雇用形態になんの疑問も感じていない。

富裕層への減税が進む一方で、一般大衆が負担する税の割合は増え続けている。
この社会の構造は、権力層や富裕層が大衆を抑圧し搾取する方向へと進み続けている。

結婚し子供を持つことが大きなリスクとなる時代である。
もはや彼らが失うものは何もない。
守るべきものがないだけだ。
得られるものはもう何もない。

このような豊かさが奪われた不幸な時代の大衆が求めるものとは一体何なのだろう。

おそらくそれは革命と戦争だろう。

大衆はこの停滞する不平等な格差社会から脱するための手段として、革命や戦争、テロ、デモ、暴動を求めるようになる。

憎悪や争いを正当化し、壊れゆく社会を歓迎するようになる。

今でこそ人々は人権や正義といった終わりの無いテーマにうつつを抜かしているが、いずれ大衆の不満と憎悪は富裕層へと向けられるようになるだろう。

我々が不毛に正義を主張し合っている間にも、格差は広がりを増し、富裕層は私腹を肥やし続けている。このままでは彼らの思う壺だ。富裕層や権力層は、大衆の不満の矛先が自分たちに向かわないようにするために、意図的に不毛な対立を煽っているのではないかとすら思えてくる。いやむしろそれが現実なのかもしれない。

人々は行き場のないフラストレーションの矛先を偏った方向へと向けてしまっている。現代に広がる憎しみや不寛容さの元凶は人々の心の余裕を失わせた格差社会の中にこそ存在しているのではないか。

しかし、いずれ人々は気づき始めるだろう。

全てを壊し、全てを振り出しに戻さない限り、平等とチャンスは得られないと。

極限まで追い詰められた大衆はいずれ破壊を求めるようになるだろう。

彼らは失うものも得るものもない存在だ。
彼らにとっての戦争はもはや希望なのである。

闘争は現実を忘れさせてくれる。
向き合うべき現実や、やるべきことから目を背けさせてくれる。
争いは辛い現状から逃避するための手段でもあるのだ。
これは幸福な人々には到底理解のできない感覚だと思う。

先の見えない行き詰まった世界で生き続けるよりも、すべてが失われた世界で一からやり直したいと願ってしまう。前へ進んでいるという実感が欲しいだけなのだ。

みんな心の内では自然災害に興奮し、社会的事件に熱狂している。
彼らはきっかけさえあれば、すぐにでもテロやデモ・暴動を支持する側に立ち始めるだろう。

格差是正装置としての戦争

戦争は富の再分配を実現する。
戦争は不平等を是正するためのリセット装置として機能しているのだ。
それ故に戦争は抑圧された大衆によって歓迎され正当化される。
ある意味、戦争は大衆が富裕層に抗うための手段であるとも言える。

世の中に対する不満や富裕層への反感、妬み、格差への反発が争いを引き起こすのだ。
人間の暴力性が争いを生むのではなく、人間の欲こそが争いを招いている。
富を独占する者たちとその欲深さに対する反感が暴力を正当化し、争いを引き起こすのだ。
人間に備わった暴力性はあくまで自分たちの身を守るために使われているにすぎない。

富裕層による大衆への搾取は抑圧であり、またある種の間接的な暴力であるといえる。しかし間接的であるがゆえに我々はその罪を問うことはできないし、搾取する側もその罪の重さを自覚し改心することはない。たとえ全て分かっていたとしても、欲望に支配された彼らはその手を緩めることはなく、大衆から搾り取った禁断の蜜を貪り続ける。権力層もまた自分たちの優位なポジションを守るために不平等な社会を変えようとしない。であれば、大衆は戦争という間接的な暴力でもって対抗するほかないのである。

戦争という名の反抗と暴力は持たざる者たちの唯一の権利として常に存在し続ける。

持つ者たちが搾取を止めず富を守り続ける限り、持たざる者たちは何度でもその権利を行使し続けるだろう。

革命や戦争は抑圧された大衆による正当防衛なのだ。

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