惨めな男は愛されない

「声を上げる女性たちが気に食わないのなら、男性も女性と同じように声を上げて自らの悲痛を社会に訴えかければいい」と、現代の革命家たちは言うが、しかし男性の嘆きが必ずしも社会に受け入れられるとは限らない。

むしろそれが受け入れられないと分かっているから、男たちは声を上げることができないのだろう。自分たちの直面する目の前の絶望と向き合った結果、心の病に侵され自らの死を選ぶこととなる危険性もある。「現実を直視しろ」「社会に訴えろ」という意見は相手を死に追いやってしまうかもしれない危険なものでもある。社会はそのことの責任に無自覚だ。誰も助けれくれないと分かっているからこそ、男たちは現実逃避によって己を守ることしかできない。

だから男たちは弱音を吐いて社会にすがるワガママな女性たちを妬み恨むことしかできないし、社会に火を投げることでしか己の嘆きを示すことができない。

惨めな女性は男性の性欲や社会・政治によって大いに愛されるが、惨めな男性はことごとく愛されることがない。そんな非対称性がこの世には確かなものとして存在している。女性は嘆くことで得をするが、男性がプライドを捨てて悲痛を訴えても得られるものは何もない。それはただ敗者となった自分たちの境遇を正当化して自己を慰める行為にしか映らない。そのような行為は往々にして社会を支え続ける者たちによって憎まれ、決して同情されることはない。

惨めな男は自分で自分を愛することでしか生きられない。

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