AIによるコンテンツ生成が主流となる時代では、AIの学習元となるアーティストに富が集中するような社会が築かれていくと思う。リモートワーカーの「アフィリエイト記事」や「切り抜き動画」のようなモデルが創作の世界にまで浸透してゆくだろう。
例えば「ジブリ風の絵本」や「ジブリ作品の続編・二次創作」を作りたいとなった場合は、学習データとしてジブリ作品を扱うことになるから、その場合の利用料がスタジオジブリに入ることになる。あるいはAI作品の売上に応じた著作権料がジブリ側に入るようなモデルも考えられるだろう。
そういう時代では既存の人気コンテンツを持ったスタジオやアーティストはとにかく有利となる。ブランド力や知的資産(IP)の存在がこれまで以上に重要となる時代がやってくる。
しかしこの恩恵を受けられるのは個性と権威を持った恵まれたアーティストに限られるだろう。法的な力も知名度も個性もないその他のアーティストは知らず知らずのうちに学習データとして利用されるだけで、その個性が満足に活かされることはない。作品の骨格を支える数多くの要素の一つとして取り込まれ利用されるだけである。仮にAIに創造物の骨格部を真似されたとしても、それを訴える力は彼らにはない。
AIコンテンツの主要な素材となれる作品とそのアーティストには知名度と実力(個性とクオリティ)が求められる。ただそのような学習データになることをクリエイターたちが歓迎するようになるというのは、人類の在り方としては実に嘆かわしいことである。影響を与える先の存在が人ではなく機械であるというところが何より滑稽だ。表現者の想いや意志は他者の心ではなく機械的な演算装置を通して表現され受け継がれてゆく。人はただそれを評価するだけの存在へと成り下がってしまう。人々の価値観と感性は機械によって歪められ支配されてゆく。
金持ちになりたい、成り上がりたい、唯一無二のアーティストになりたい、自らの意志を残したい、そんな様々な目的が持てる世界であることは良いことかもしれないが、しかし果たしてそんな世界はやってくるだろうか。
そんな理想は人工知能と持てる者たちがいとも簡単に奪い去ってゆくのではないだろうか。
創作が大衆の手から離れ、作る側と受け取る側の格差が広がってゆくだけなのではないだろうか。
※1 そもそもAIコンテンツの問題は作り手の供給と創作意欲を奪ってしまう点にある。AIコンテンツで満足できてしまうような人々が増えれば市場はAI作品に独占される。「平均の美」がAIによって独占された市場では唯一「独創性」のみがその力を保つことができる。
戦争はAIではなく人間が引き起こす
ちなみに今後の世界では、AIの意志によって戦争が起こるのではなく、AIに仕事を奪われた民衆の意志によって戦争が起こるようになるのではないだろうか。AIの利用によって富を独占するような一部の「持てる者」たちに対する反発は、今後想像以上のものとなるため、社会にはAI利用に対する課税の強化と富の再分配が求められる。