「ビキニ美女たちが洗車する」を和製解釈する

海外のナイスバディなビキニ美女たちが洗車したり水を掛け合ったりする謎のシーン。

あのシュールさとバカらしさが毎回クスっと笑ってしまうくらいに好きなのだけど、あれを日本風に描くとどうなるのだろう。

同じ構図で二次元美少女が洗車するだけでは芸がない。

「スク水美少女がプール掃除をする」はどうだろうか。

我ながら、かなりジャパナイズできているように思う。

ただこれだと若干物語上の必然性が感じられてしまうので、本場のようなシュールさはあまり感じられないかもしれない。本場のビキニ洗車は男のスケベ心を満たすためだけに都合よく立ち現れる唐突な世界観がアホらしくて思わず笑ってしまうのだから、そこに必然性や文脈があってはならないのだ。それにホースの放水はいいとしても、プールは肉体のメタファーであるスポーツカーとは程遠い存在だ。もっともプールを満たされない思春期や欲望の象徴として捉えることもできなくはない。むしろこの方が日本的かもしれない。

ビキニ洗車が獲得された富や文化・理想の象徴であるのに対して、プール掃除が未だ満たされていない渇望の象徴となっている点は面白い。総じて日本の二次元オタクコンテンツはこの未成熟な存在を愛する文化でもある。

アニメの唐突な水着回とか、温泉回とか、メイド服を着させられる回みたいな、ああいう無理やりな感じも近いように思うが、シュールとは言えない。ラッキースケベも少し違う気がする。変身シーンでの全裸シルエットや戦闘シーンでのパンチラも直接的で生々し過ぎるものの、良い線はいっているように思う。着替えシーンで女の子同士が乳くり合う姿はいつ見ても良いものだ。

もともとビキニ・カー・ウォッシュには、チアリーダーたちが活動費を稼ぐために始めたという歴史的な経緯があるのだが、現代ではそれらの文化性や文脈が完全に削ぎ落とされた記号的なサービスシーンとして利用されている。この文化性や文脈、必然性を欠いた強引さがまた、ビキニ・カー・ウォッシュの面白さと馬鹿らしさを引き立てる。作る側と見る側のバカ正直で間抜けなスケベ心が垣間見えて笑えてしまうのである。

ビキニ・カー・ウォッシュは日本の変態文化を以てしても到達することのできない表現だと思う。

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