バーチャルYouTuberを受け入れられない理由

バーチャルYouTuberの世界が好きになれない理由は、酒・タバコ・ギャンブル・風俗と同系統の世界に見えるからだ。

人間の生々しさが透けて見えてしまっている点が何よりも気になる。

VTuberは男女の愛憎渦巻く世界だから、いずれ必ずスキャンダルや事件が起こるし、そんな不安定で失望の待っている世界に夢中になっても無意味だという気持ちも強くある。

どうせ虚構の世界に夢中になるのであれば、漫画・アニメ・小説みたいな理路整然で安定的な文化に夢中になったほうがよいと思う。

思うにVTuberというものは、「内向的な趣味を楽しむタイプのオタク」に向けた世界ではなく、どちらかと言うと、人との繋がりを欲する外向型の人種に向けた世界なのではないだろうか。アーティストの作品よりもアーティストの半生やアイドルの成長、芸能人のトークに夢中になるタイプの「大衆」「多数派」を相手にするビジネスと言っても良いくらいではないだろうか。VTuberはコンテンツではなく単なるタレントに過ぎないのである。芸能界やアイドル業界・声優業界に興味のない私がVTuber業界に興味を持てないのは当然のことと言える。

VTuberはあくまで芸人であり、コピーキャットであり、3次元に生きる生身の人間の延長線上の存在に過ぎない。VTuber業界は、その現実的な生々しさを求める人々によって支えられ、その需要に応えるように最適化されてきたのではないか。少なくともVtuberの活動がライブ配信中心となり、キズナアイも消え去った昨今、VTuberを前にして「まるで二次元の世界のキャラクターが意思を持って話しているかのようだ」などと言って感動し続けているピュアなオタクなどもはや限りなく少数だろう。むしろ人々は「意思を持った存在が二次元的な理想像を表現し続けてくれる」ことに何よりも感動(感謝)しているのだろう。多くのファンは、二次元アバターの映し出す幻影ではなく、二次元ボイスから透けて見える生身の人間の自我にこそ惹きつけられているのではないか。それは神ではなく神を演じる存在を愛してしまうという、実に罪深い行為でもあるのだ。そして神は本来のイメージや価値を失ってゆく。VTuberは二次元を毀損する存在でもある。これは二次元の堕落である。
二次元と三次元が溶け合うことで新たな世界の可能性が生まれようとしている。それは二次元のみならず現実世界の見え方さえも変えてしまうようなものだ。満たされない三次元の世界が二次元で満たし返される、それはそれで面白いことだが、私は満たされない世界の内側から見つめる二次元の世界が好きなのである。

私のような内向型の人間は、外向型の人種とは異なる自分にある種の誇りや選民意識のようなものを持ってしまっているから、彼らの好む俗な世界は意地でも好きになりたくないというプライドをも併せ持ってしまっているのかもしれない。(嫌悪する程ではないが、常に疑いの目で物事を見てしまう)

つまり彼らのようになりたくない、同一視されたくない、という偏見まみれのプライドが私をVTuber嫌いへと駆り立てるのである。それは実に無意味なプライドなのである。

というわけで、反省と自戒の念を込めて、自身のアカウントから数少ないVTuberのチャンネル登録リストをここに公開する。

ネットのおもしれー女リスト

結構エグい趣味してた。

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