フリーランスに憧れる弱者たち|奴隷労働・搾取社会への反発と未来

最近、自由な働き方に憧れる人たちが急速に増えてきているように思うが、これは雇用システムへの反発、ひいては奴隷労働・搾取社会に対する反発の現れなのだと思う。

彼らは、低賃金・長時間労働や中間業者の中抜きモデル、往復2時間近くを通勤に費やすサラリーマン人生を馬鹿らしく感じているのだ。

社会の息苦しさから逃れ、自分たちの労力に見合った正当な対価を得るために、彼らはあえて社会の枠組みからはずれようとしている。勝ち目の見えない従来型の雇用形態を避け、新たな戦場に一筋の希望を求めている。より人間らしい労働環境を求めて彷徨っている。

現代人の多くは従来の雇用システムに強い失望を抱いているのだ。

仕事のないロスジェネ世代が増えている一方で労働力不足が騒がれている矛盾。これは働き手が足りないのではなく、安い労働力で酷使できる若者が欲しいという企業側のワガママでしかない。

ひきこもり・ニートのボイコットは、このような生きづらい搾取社会に対する反発とその意思表示なのではないのか。引きこもりは社会に対するストライキなのだ。

フリーランスという新たな搾取システム

フリーランスや在宅ワークという働き方はこの絶望の社会を変えてくれるのだろうか。

おそらく、フリーランスという働き方は、労働者にとってより生きづらい社会を生み出すだろう。

フリーランスはいずれ資本家にとって都合の良いシステムへと変化し、既存の搾取システムへ取り込まれていくはずだ。

派遣労働・偽装請負に次ぐ新たな搾取構造にこのフリーランスが加わりつつある。

今後フリーランス人口が増えていけば、競争原理が過剰に働き、価格破壊が起こり、フリーランスの旨味は損なわれていく。むしろデメリットばかりの存在になるだろう。

現在は辛うじて供給優位を保っているフリーランス市場であるが、これからはいずれ供給過多の市場へと傾いていく。委託者はフリーランサーの足元を見るようになり、自分たちに都合の良い労働条件を強いるようになるだろう。また知名度や実績の無いフリーランサーは自らを安売りしようとする。

フリーランサーの実績を保証し企業への斡旋を担うエージェント業も主流化するかもしれない。それはいずれ派遣・SES時代の中抜きモデルと何ら変わらないものになるだろう。

クラウドソーシングの世界でも、請け負った仕事を別のフリーランスへと破格の料金で横流しする中間業者のような存在が定着する。つまりクラウドソーシングの世界でも二次請け、三次請けの多重下請け構造が主流化するようになる。実績と信頼のないクラウドワーカーはそれらに頼らざるを得なくなる。

企業はフリーランスを守ってはくれない。同調圧力に弱く、物申さぬ日本人は企業の言いなりにしかなれない。平均的なフリーランスは強い交渉力を持てないために、企業側にとって都合の良い労働環境を受け入れざるを得ない。

企業の社会保険や福利厚生も受けられないため、社会的な保証も優遇も得られない。労働基準法はフリーランスには適用されない。すべてが自己責任であり、まさに地獄のような世界である。世紀末の荒廃した大地で一人生きていくようなものである。

それでもなお人々は、根拠の無い自信と期待を胸に、この荒れ狂う大地に足を踏み入れようとしているのである。

フリーランスの将来性とリスク

プログラマーやシステムエンジニア等のデスクワーカーをフリーランスで雇うというのは企業にとって都合の良いものでしかない。企業は新しい技術を持った若くて新鮮なフリーランスを常に補充し、古いフリーランスはいつでも便利に切り捨てたいと考えている。フリーランスになるということは、企業側の都合の良い駒として利用されるリスクを負うということなのである。フリーランスというのは、企業側が自分たちの責任を放棄するための都合の良いシステムでしかないのである。

よって、フリーランスエンジニアという文化はそこまで根付かないと思う。根付いたとしても不幸な人間を生み出すだけだろう。あるいは脱終身雇用制度の流れと正社員の削減によって派遣やフリーランスが当たり前のようになる時代がくるかもしれない。

フリーランスは副業や兼業の形で行われることが望ましいと考える。あくまで自分たちの好きなことを仕事にするための手段として、フリーランスを選択するのだ。イラストレーターやライター、音楽家、運転手、介護士、家事代行といった特殊な技能が求められる仕事こそフリーランスにふさわしい。プログラミングやITスキル等の流動的な能力よりも、普遍的な能力でなければフリーランスの世界では生き残れない。

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