最近では「もう終わりだよこの国」「どうすんのこれ」などと言って人々の不安を煽る絶望系2ちゃんねらーを多く見かける。時に彼らは日本に対して冷笑的・嘲笑的な態度をも取る。
最近の2chでよく見かけるネタコメント |
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もう終わりだよこの国 |
どうすんのこれ |
これ外人は笑うらしいな |
さすが中世ジャップランド |
でも日本には四季があるから |
彼らのシニカルな言動は一見すると反日的な「日本叩き」や「日本下げ」のようにも取れるが、しかしよく見てみると実際のところ彼らは、日本を憎んでいるというよりは、むしろ日本を憂いでいるようにも思えてくる。
もともとは日本に対して好意的だった者たちが、日本の現状に失望し、見切りを付け、その結果、一転して今日のような批判的な態度を取るようになったとも考えられそうだ。思い通りにならない日本に対して嫌気が差してしまったのだろう。「何やってんだよニッポンさん」「なんとかしてくれよ」「嫌いになっちゃうよ?」「もうどうにでもなれ」「落ちるところまで落ちてしまえ」が彼らの本音ではないだろうか。
彼らは勝ち馬に乗ってマウントを取りたいだけのスネ夫みたいな人たちである。負け続けの日本の現状に耐え切れず心が折れてしまった彼らは、日本を擁護する意欲も失い、いまや叩く側に回って日本を貶めることでしか己の優位性と自尊心を保てない。彼らがネトウヨを叩くのは過去の自分を否定したいからだ。彼らの自民族に対する自虐的とも言える態度は自らのコンプレックスや敗北感を押し隠すための現実逃避である。他人事のように日本を見下げて嘲笑っているが、心の奥底では日本のことが気に掛かって仕方ない。いっその事日本が無くなってくれれば、自国に対する不安や心配からも解放されるのではないかとすら思っている。彼らは曲がりなりにも批判的愛国者であるがために日本礼賛を嫌い、賛美型の愛国者をも嫌悪する。
彼らが「日本脱出」にこだわるのは、これらの不安や葛藤から逃れたい気持ちがあるためだろう。しかしこの国ほど安全で快適な環境は他に見つからないし、言葉や文化の壁もあるから行動には移せない。すべてを投げ出す勇気もない。だから声高に絶望して周りの人たちの危機感を無責任に煽ることしかできないのである。
おそらく彼らの「もう日本は終わった」という悲観的な態度の裏には、「日本が終わったことを知ってほしい」「もっと危機感を持ってほしい」という想いや動機が隠れており、それはつまるところ「日本が終わったことを認めて新しいスタートを切ってほしい」という期待や願望の表れでもあるのではないだろうか。
つまり彼らが求めているのは「現状の変化」や「社会の変化」なのである。
しかし彼らには自分の力で世の中を変えようという意識がないため、代わりに人々の不安を煽ることでもって、人任せに現状を変えようとしている。「みんな気づいて」「なんとかして」と嘆きのヒロインのように振る舞って間接的に世の中を変えようとしているのだ。また彼らの自虐的とも言えるやけくそな態度は自傷行為に相当する。
ちなみに我々が「もう終わりだよこの国」という書き込みを「うざい」と感じてしまうのは、彼らの他人任せで自分では何もしようとしない思考停止の無責任な態度に不快感を覚えてしまっているためではないだろうか。
おそらく彼らは自身の置かれた環境に絶望し、その不幸の原因と責任を国や社会の中に求めている。そして不幸の原因である社会が解体されれば、もれなく自分たちもリセットされた社会で再出発を果たせると考えている。
彼らにとっての日本オワタ論は自らのリセット願望を刺激するための絶望ポルノでしかない。日本の終焉を嬉々として望む彼らは、社会的な事件や災害に熱狂し興奮する者たちと大差ない。彼らは絶望の中に希望を見出している。彼らの求める救いは誠に身勝手なものである。
実のところ、日本が終わっているのではなく、彼らが終わっているのである。しかし彼らはそれを認めることができない。だから自分ではなく日本のほうが終わっていると思い込んで安心しようとする。彼らはその安心と確証を得たいがために、日本のネガティブな出来事や日本オワタ論に飛びつく。彼らの言動は「日本が終わってほしい/終わっていてほしい」という願望の表れでもある。
彼らは自身の不幸の原因と責任が社会の側にあると決め込んでしまっているため、もはや社会を変えることでしか自分を変えられない。彼らが不幸なのは、社会が変わらないからではなく、自分を変えられないからである。