日本の称賛が気に食わない反日左翼の行動原理|社会嫌悪者たちの闇と孤独

日本の文化や日本人の良いところを褒めると、なぜかそれを必死になって否定しようとする人たちが、どこからともなくわらわらと湧いて出てくる。反日や左翼(サヨク)と呼ばれている人たちだ。

例えば、誰かが日本人の団結心を称賛すると、彼らは唐突に「団結心は同調圧力となって戦時中のような社会を導くから悪いものだ」と場違いなことを言い出す。

航空自衛隊のブルーインパルスによる医療従事者への感謝飛行に国民が歓喜すると、彼らはひねくれたように「国民の税金を使ってすることではない」「軍国主義を賛美する危険な行為」といって水を差す。

外出自粛要請に応じる若者や、被災地のコンビニに列を作って並ぶモラルの高い被災者を称賛すると、「右へならえを押し付けられた結果だ。軍靴の音が聞こえてくる」「新型肺炎の死者数が少ないのは、アベ政権が隠蔽しているから」などと、論点をずらして支離滅裂なことを言い出す。

彼らのような人々と接してきた経験から、共通して思うことがあるのだが、それは、彼らは正義感からそのような発言をしているのではなく、彼らは単に「気に食わない社会を否定したい」「多数派のいい感じなムードを壊したい」という動機だけで、そのような行為を取っているように感じられてならないのである。

社会が誤った方向に導かれないように警戒をしている、というよりは、社会を否定するために「こじつけ」で「後付け」で「その場しのぎ」でそれらしいことを言っているように思えてしまうことが多々あるのだ。衝動的な怒りを発散させるための脊髄反射的な行動に見えてしまうことも多い。非難という行動そのものが目的となっている。

要するに彼らには信念がないのである。社会を正したいのではなく、社会を否定したいだけなのだ。目の前の気に食わない物事を否定したいだけなのだ。だから平気で二枚舌を使い、矛盾した論理を指摘されても平然としている。恥じることなく論点をすり替え、いつまでも見苦しく反論を続けている。

社会の「構築」ではなく社会の「破壊」が目的なのだから、論理性も信念も必要ないのである。

日本の文化を褒めるという行為が気に食わないから否定しているだけなのである。自分を虐げた憎き国の生み出す文化が素晴らしい存在であるはずがないと、彼らは必死に訴え、反発している。

日本叩きは多数派への復讐|左翼はなぜ共同体を憎み他国への帰属を望むのか

彼らの中にあるのは「恨み」と「復讐」の感情だけなのだ。
国を良くしたいなど微塵も思っていない。
口を出すだけで何も行動しない。
「正しさ」を利用して暴れ狂っているだけなのである。

彼らはブルーインパルスによる医療従事者への感謝飛行に水を差すように「国民の税金を使ってすることではない」「軍国主義を賛美する危険な行為」といって非難しているが、実は、彼らは「感謝飛行に歓喜する多数派が気に食わない」から、無意識にそれらしい理由を付けて非難していただけなのではないのだろうか。人々が同じ方向を向いていることが憎たらしくて気に食わなかったのである。彼らの根底にあるのは多数派への憎悪と嫉妬、そして自身の孤独ではないか。彼らは社会の祝福や感謝、声援、団結に疎外感を覚え、嫉妬しているのではないか。本当は社会の輪の中に入りたかったが、それを認めることのできなかった可哀想な人たちなのかもしれない。本当は社会を愛し愛されたかったのではないか。

彼らは社会に大きな不満を抱いており、社会を憎んでいる。自身の不幸の原因とその責任は社会にあると信じている。だからその復讐をしているのだ。わざと支離滅裂に振る舞い、そんな「怒り狂った自分」という存在を生み出した社会を暗に責めているのである。この自虐性はリストカットに走る思春期の若者や、自爆テロを引き起こすテロリストのそれと共通するものがある。よく、口論になるとカッとなって物を床に叩きつけて壊そうとする人たちがいたりするが、あれは「私が物を壊してしまったのは、お前が私を怒らせたからだ」と暗に相手を責めようとしているためではないだろうか。

彼らは不満を抱えた自分を理解してほしいとも感じている。自分の抱える苦しみを理解し、慰め、賛同してくれる他者を無意識に求めている。社会を否定する行為は、自らの不満を吐露する行為であると同時に、それによって他人からの理解や同情、賛同を得るための手段でもあるのだ。

しかしそのやり方が、あまりにも不器用であるが故に、人々から理解されず、拒絶されてしまうのである。そんな彼らはいつしか目的を忘れ、反社会的な活動に生きがいを覚え、壊れた蓄音機のように同じ言動を繰り返すだけの存在へと成り果てる。

日本では、政治を語ることがタブー視されていたり、自国を誇る文化や、物事を褒める文化もなかなか根付かないが、それは彼らのような反発的で過激な存在が闊歩しているためではないだろうか。そのような面倒な人たちと関わりたくないから、いちいち否定されたくないから、みな萎縮しているのである。

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