『公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならない』
それらしい事を言っているように見えるが、自分たちがしたことを正当化するための詭弁にしか聞こえない。
そもそも公共の福祉に反しているではないか。
税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと、違和感を覚える。全く真逆ではないか。公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。
これは論点のすり替えであり開き直りではないか。
そもそも税金を使ったことが自体が問題なのだ。
天皇を踏みにじり、国民の心を傷つけたことが問題なのだ。
津田大介の政治的扇動に加担したことが問題なのだ。
その責任と反省から目を背けるつもりなのだろうか。
事の経緯:表現の不自由展は政治的なプロパガンダ|メディアの責任も重い
少し考えれば分かることだろう。
韓国の国旗と金正恩の肖像画を燃やす作品を国の美術館に展示すれば、大きな批判やデモが起こることは誰でも想像できるはずだ。
表現の自由だからといって何をしてもいいというわけではない。
公権力を持ったところだから何をしてもいいというわけではない。
憲法で守られているから何をしてもいいというわけではない。
むしろ国の力が及ぶ場であるからこそ慎重にならなければならなかった。
権利を濫用し公共の福祉に反したことの罪は極めて重い。
大村知事は憲法21条を主張するよりもまず、憲法12条・憲法13条を理解するべきではないか。
日本国民の象徴たる天皇を侮辱しておきながら憲法にすがるなど甚だ愚かしいことだ。
税金を使って過激なことをしておいて、いざ批判されると「税金を使った場だから憲法で守られるべき」とは盗人猛々しい。
まるで「税金を投じた場であれば何をやってもいいだろう」とでも言いたげだ。
安全管理上の理由で展示を中止しておいて、後からその責任を市長に転嫁し、論点をすり替えようとするとは浅ましい。
開き直る前にまず、事の重大さと向き合うべきではないか。
裁判をちらつかせて脅しをかけるようなみっともない真似をしている場合ではない。
市長がどうこうではなく、傷つけられた国民がどう感じているかに目を向けるべきではないか。
表現の自由は守られるべきものだが、その責任はきちんと果たすべきである。
責任逃れと保身に徹する大村秀章知事の姿勢はあまりにも見苦しい。