ポリコレ英雄伝説|社会学者と活動家が問題をこじらせている

表現の改変や改善というものは、作者の意思によって自発的に行われるべきものだと思う。

特にこれから作られる作品に対して、周りがとやかく言う必要はないだろう。声高に改善を要求し、その手柄を自分たちのものにしようとする活動家や社会学者のやり方は、あまりにも品がない。

圧力によって改変された作品よりも、製作者の自らの意思で自発的に改変された作品にこそ大きな価値と支持が与えられる。

寛容な社会が優れた文化を育む。彼らにはそれが分かっていないようだ。

気に食わない表現があるのなら製作者に直接抗議をすればいい。なのになぜ犬笛を吹いて集団で表現を燃やすような真似をするのだ。

社会を分断させているのは表現者や消費者ではなく、あなた達ではないか。いつだってあなた達の驕りと傲慢が問題をこじらせている。あなた達は争いの絶えない分断した社会の中でしかその存在意義を示せない。このポリコレ戦争を導いたのは、他でもないあなた達ではないか。

いつまで他人の家の芝生に火を放ち、本を燃やし、魔女を焼き、無知な者たちを焚き付け続けるつもりなのだ。なぜ自らの手を汚すことなく安全地帯で燃え広がる炎を悠々と眺めていられるのだ。

その欺瞞に満ちた己の偽善を恥じるべきではないか。

学者がまずするべきことは物事の観測であり、直接的な干渉ではないはずだ。活動家の真似事をするよりもまず、現状と結果を分析し、それをどう次に活かすか、どう社会に提示するかを考えるべきである。最前線で争い合う者たちに示唆を与えるのが貴方たちの役目だ。あなたたち以外の誰にそれができるというのだろう。

社会正義戦士や社会学者がリベラル・ポリティカル・コレクトネス(お気持ちポリコレ)を武器に、社会の規範を強引に再定義し、世の中を自分たちの理想の色に染め上げようとしている。あなた達はいつからそんなに偉い存在になったのだ。

嫌なら見なければいいし、不満があるなら自分たちで作品を作ってみればいい。

それができないなら、知識と教養を身に付け、広い視野で物事を受け入れられる寛容な大人になるべきだ。

そして何よりもまず、現実とフィクションの区別が付けられる大人になるべきである。

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