音楽の流行は躁的な状態への移行を完了しつつある

音楽の流行はハイテンション期とローテンション期を繰り返している。

「DANCE → R&B → HIPHOP」流行の繰り返しについて

これまでは病み系の曲とか、暗い感じの曲とかが続いてきていたので、これからは前向きで明るいハッピーな曲が流行ると思っていた。

しかし実際は「明るく狂っている」感じの曲で溢れているように思える。

「辛いけど前向きに生きていこう」という感じではないから不気味に見えてしまう。

あえて言うなら「辛いけど生きていくしかないんだ」というような、およそ悲壮感とも言い難い、絶望と妥協の入り混じったものを感じさせる。

「友情・努力・勝利」「みんなで手を取り合って困難を乗り越えよう」というような陽に当たった前向きさではなく、個人でがむしゃらに狂っている感じがある。

個人の苦しみに寄り添う姿勢は鬱的な時代の音楽から変わっていない。そしていずれも「手を差し伸べる」音楽というよりは「寄り添う」音楽に留まっている。

「大丈夫だよ!行こうぜ!」というような、明く前向きで頼りになりそうな感じではなく、「ソウだね…、朝まで踊り明かそか?」といったようなクールだけれども、どこか薄ら寒いものを感じさせる。

「もうどうにでもな〜れ」みたいな投げやりな印象も受ける。
「狂ったまま生きていく」みたいな痛ましくて見ていられないような悲壮感もある。

自死とか無差別殺人とか、そういう負の前向きさが溢れ出す時代の到来をも予感させる。
現代は立ち直りの時代ではなく、解放や爆発の時代となるのかもしれない。
テロリストがヒーローになる時代がやってくる。

現代の若者は「狂わなければやっていられない」時代を無理やりに生きようとしている。
社会に対する諦めの姿勢とその自らの様を自虐的にあざ笑っているような姿が痛々しい。

しかし多くの楽曲はそんな自暴自棄を暗に否定してくれているように思える。

「でもこのままじゃダメだよね」というように、気づきや励ましのようなものを与えようとしてくれているから、まだ救いがあるのである。しかし悪く言えば、若干「説教臭い」ようにも見える。隣で寄り添ってくれていた相手から急に突き放されてしまったかのような戸惑いを覚えてしまうのである。自分と対等ではない雲の上のアーティストからそれをやられると、なおさらそう感じてしまうのである。

そのような出航を見送る賢者たちの言葉ではなく、一緒に船旅に出てくれる無邪気な少年のような言葉こそが必要だと思うのだが、孤独と無力感にとらわれた現代の若者は、もはやそれを求めることすらできなくなってしまっているのかもしれない。自らの苦しみを「助けて」の一言で言い表すことさえできないのである。そしてただ気休めのような言葉にすがり続けるのである。

若者はヒーローの登場を求めている。

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