貧しい日本のテロ事件について|なぜ政治家や金持ちを叩かないのか

昨今の多発するテロの実態は「社会的弱者による反乱」ひいては「労働者階級による反乱」だと思うのだが、その転機となったのは「アベノミクスと東京五輪の失敗」だと思う。

あれで人々は政治の腐敗と中抜き社会の現実、そして支配階級と大衆の格差をまざまざと思い知らされてしまった。変わり始めると思っていた社会も一向に変わらなかった。疫病による社会の停滞は人々に強い閉塞感と絶望をもたらした。日本人は未来への希望を失ってしまったのだと思う。無力感に直面し、人生に行き詰った彼らは、なんとかして社会に一矢を報いようとしたのではないか。

しかしなぜ彼らは権力層の者たちを狙おうとはしないのだろうか。

彼らが政治家や富裕層を狙わない理由は、おそらく彼らが世間そのものを恨んでいるためだろう。

自分よりも少しだけ幸せな他者や、自分を責める身の回りの人たちを、彼らは憎んでいるのではないか。

「自己責任論」や「同調圧力」を強いられるこの不条理な社会は、たしかに支配層が所望してきたものだが、しかしその社会はあくまで世間の手によって形作られてきた。過剰な「努力」や「苦労」といったプレッシャーを実際に強いているのは、自分たちの身の回りの人間やメディア、すなわち世間である。権力者たちは大衆を煽動こそするが、直接的に手を下すことはない。そのため我々はこの社会を牛耳る者たちの存在とその悪意を実態として感じ取ることはないのである。

だからこそテロに走る者たちは自らの不満を身の回りの世間に向けようとするのではないだろうか。この社会を異常と思わず声を上げようともしない大衆に目に物を見せてやろうという気持ちもあるのかもしれない。あるいは不寛容な社会をもたらした支配階級の者たちに間接的な恐怖を与えてささやかな復讐を果たそうとしているとも考えられる。大衆が傷つけられたことの真の原因と責任は人々を苦しめ続けてきた支配層の側にこそあるのだと、そう彼らは暗に主張しているようにも感じられる。自分は被害者であって恨むべきはこの状況を生み出した社会であると、そう大衆に訴えかけて、注目と反響を得ようとしているのだ。大衆の恐怖と憎悪を煽ることでもって社会を変えようとしている。持てる者たちが持たざる者たちを間接的に苦しめてきたのと同じように、彼らもまたこの社会を傷つけることによって、漠然とした社会への不満や不安に抗おうとしている。それは彼らにとっての唯一最善の正義であり革命なのだろう。

関連記事

広告