公式サイトが公開している内容の濃い公式文書や、ウィキペディアの信頼性の担保された記事、パクリ記事の元となった一次ソース・二次ソースが低い検索順位になる一方で、ぽっと出のブロガーが書いた内容の薄いイカ臭い記事が検索結果の上位にのさばるという現状がある。
俗に言う「いかがでしたかブログ」や「トレンドブログ」「アフィリエイトブログ」による弊害である。
そもそもこのような現状はユーザーが求めた結果なのではないか。
インターネットユーザのリテラシー低下
スマートフォンの普及によってインターネットは大衆化した。今では老人や子供、底辺層が当たり前のようにネットを利用している。昔と今ではネットユーザーのリテラシーは大きく異なっているのだ。
今はリテラシーの低いユーザーが多数派の時代となっている。彼らは硬い文章や長文を嫌う。そして彼らは文字装飾や改行が過剰で内容の薄っぺらい記事で満足してしまう。Google検索のアルゴリズムはそういった大衆や初心者の傾向を基準にページのランク付けを行っているのかもしれない。
おそらくランク評価の初期の段階で偏った過剰な算定が行われてしまっているのだろう。だからパーソナライズド検索の効きも悪くなるのである。初心者と中級者、あるいは情報弱者と情報強者の傾向を分析して、両者を区別して重み付けする必要がある。あのGoogle先生がそれをやっていないはずはないのだが、現状を見るにおそらくやれていないのだろう。
であれば、もはやGoogle検索を使い続ける理由はない。リテラシーの高い中級者や上級者は、自分たちに合った新たな検索エンジンに移行するべきだろう。そろそろユーザーの大移動が起き始めても良い頃合いだと思う。かつてIE全盛期にFireFoxやChromeを使い始めたアーリーアダプターがいたように、Googleがデファクトスタンダードの現代にあってあえてDuckDuckGoなどの検索エンジンへと移行するユーザーが出始めてもなんらおかしなことではない、むしろそれが自然な流れというものだ。
Googleは第二のMicrosoftへと落ちぶれたのである。グーグルがリテラシーの低い多数派を優遇した結果、高いリテラシーを持った少数派が不利益を被ることとなった。独占的な地位に甘え続けてきた結果、本来の市場のあるべき姿を見失ってしまった。
グーグルがこの現状を変えてくれないのなら、我々はこの環境から脱するよりほかはない。
もうグーグル神話は崩壊したのだ。我々はその現実と向き合わなければならない時期に来ている。
Googleの怠慢とSEOへの敗北が劣悪な市場を生んだ
グーグルのランク評価アルゴリズムがリテラシーの低い大衆の側に偏っているというのはあくまで仮説であり、また、これは検索結果の質を下げている一つの要因にすぎない。
真の原因は、Googleの怠慢なアルゴリズムとSEOへの敗北だろう。プレイヤーとのイタチごっこに負け続け、彼らを野放しにしてきた結果である。記事の質を本質的に評価できないために、記事の文章量とページの滞在時間という脆弱な指標に頼り続けた結果である。
ところで、昔のプログラミングのアルバイトにはコードの行数で単価が決まるという愚劣な文化があった。今では考えられないことだ。しかし現代では「いかがでしたかブログ」記事のライティング業という文字数で単価が決まる馬鹿らしい文化が主流になっている。同じような過ちを繰り返しているのだ。よりによってグーグル神はその愚劣な文化を駆逐することなく、ただ放置し、見て見ぬふりを決め込んでいる。
つまるところGoogleは質ではなく量でしか物事を評価できていないのである。だから今も相変わらず知識のない素人がお金儲けのために無駄なページを量産し続けている。その結果、ネットは玄人の手を離れ、まさしく悪貨が良貨を駆逐する形となったのだ。
無実の人間のプライバシーが侵害され、デマやフェイクニュースが安易に流布され、内容にそぐわない大げさな見出しが人々の貴重な時間を奪い続けている。情報が情報を生み、二次情報が三次情報を生み出し、三次情報が更なる派生と劣化を繰り返しながら人々の認知を歪め続けている。ネットはもはや伝言ゲームによって形作られた虚構の世界と化している。
Googleが何の対策も講じていないからこうなったのである。多くの責任はこの検索エンジンの現状を放置し続けてきたGoogle側にある。
昨今のGoogleの体たらくには目に余るものがある。私の知っているGoogleはもっと優れた組織だった。当時のGoogleに対するネットユーザーからの信頼には凄まじいものがあった。Googleはさながら社会を統制する国家であり、絶対的な法や神のような存在であった。Googleは社会のあり方を示してくれる存在で、世の中を良い方向に導いてくれるような存在だと思っていたが、それはどうやら過信だったようだ。
我々はそろそろ「グーグル先生」という敬称を改めなければならないのかもしれない。
これからはグーグル先生ではなくグーグル君と呼んではどうか。