なぜ幼少期に感電するとエンジニア、頭を打つと絵師になるのか

感電しても優秀なエンジニアにはなれない

「感電した経験のあるエンジニアは多い」という噂や「子供の頃に感電すると優秀なエンジニアになりやすい」という説があるが、これは単純に「好奇心の強い子供はエンジニアになりやすい」という話に過ぎないのではないだろうか。

この手の話は原因と結果を混同しがちだ。感電は結果や過程に過ぎず、実際はそれに至った個人の性格や特性が前提としてあるはずだ。そしてこれは、そういった「素質」を持った者たちがエンジニアになりやすい、という話なのだ。(※1

だから「感電したら自分もエンジニアになれるかも」というのは短絡的すぎる。だから、この手の話題を安易に信じたり、踊らされたりしてはいけない。そういう話題で信者や弟子を得ようとする悪い大人は多くいる。

感電はあくまで「結果」であり、それに至った個人の「性格」こそが重要なのである。

※1 だからこそ、たとえ感電の経験がなくとも、それらのような性格を持っている者であれば、当然エンジニアにはなれるのである。では感電経験のあるエンジニアと普通のエンジニアとの違いは何なのか。注意力の低い者たちが感電したのだろうか。そうではなく、感電をするような状況に長い間身を置き続けた者たちが感電した、と考えるのが自然だろう。試行の回数が増えれば、その分だけ失敗の機会も増える。そのような状況に身を置き続けられる程の集中力や好奇心、執着心を持ち続けられる者たちが、結果として優秀なエンジニアとなったのだろう。
今回と少しだけ似たような議論があり、それは「宇宙には意識があり、その意識によって生命が誕生する条件が整えられた」というものであるが、これも結果の話であり、実際は「宇宙は何度も発生と消滅を繰り返しており、たまたま生命の誕生にとって都合の良い条件を持った宇宙が発生し、成長し、それが今日の私たちの宇宙となった」と考えるのが妥当だろう。

頭を強打しても絵師にはなれない

同じような話に「絵を描く人は幼少期に頭を打っている」というものがあるが、こちらはどういうことなのだろう。

これは「強い身体的なダメージを経験した子供は活発な行動を抑えるようになり、結果、アウトドア趣味よりもインドア趣味を好むようになる」ということではないだろうか。

だから絵描きに限らず、他のインドア趣味を好む人々にも同じような経験を持つ者たちがいると考えられる。

要するにこれは、頭を打った経験によって後の行動が規定されたという、生物的な行動原理の話だと思われる。

あるいは、頭を打つような注意力の低い子供は、危険な室外よりも安全な室内での行動を好むようになる、とも考えられそうだ。

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