子供の頃、熱が出ると必ず見る夢があった|あの悪夢の正体を考える

風邪を引いて発熱した時に見る変な夢

風邪を引いて熱を出すと、いつも決まって同じような夢を見る。非常に実感の強い夢であり、普段見る夢よりも明らかに感覚的で不快なものだ。

自身がベットの上で横たわっている状態を自覚することもある。世間一般で言う「金縛り」に相当するものかもしれない。

私の場合、風邪をひいた時に見る夢には複数のパターンがある。
今回はそれぞれのパターンについて紹介していこうと思う。
そしてその夢の原因と正体についても考察していく。

目次

終わりのない作業を延々とやらされる

終わりのない作業を延々とさせられているような感覚。

それは意味のない作業であり、とても面倒なのに、それをやらざるを得ない状況に自らが置かれている。思うように行かないことが何度もあり、しかし投げ出すこともできず、圧迫感や焦燥感に駆られ続ける。

これは一例だが、「自身が仰向けに寝ている目の前で、なぜか宇宙戦争が繰り広げられており、自身は敵の戦闘機を撃ち落とし続けなければならない」、といった内容のものだ。「ブロック崩し」や「ミサイルコマンド」などのゲームをやり続けなければならない状況、と言えば分かりやすいだろうか。

とにかく、同じことを何度もやり続けなければならない状態が延々と続くのである。

今になって思うと、これは「賽の河原の石積み」に近いものを感じる。「賽の河原」というのは伝承の類であり、その内容は「親よりも先に死んだ子供が地獄のような所で石積をさせられており、その石積の塔が完成間近になると鬼がやってきて石積が崩される」といった不条理な話だ。

ひょっとするとこの賽の河原の話は、高熱で生死の境を彷徨った子供たちの証言が元になって生まれたものなのではないだろうか。疲労状態にある子供たちが見た夢や金縛りが、霊的なものとして解釈され、伝承として言い伝えられてきたのではないか。石積みは、おそらく当時の子供たちの遊びであり、現代ではそれが上記のようなゲームに置き換わっていると考えられる。

おそらく「三途の川」も霊的なものではなく、それは、もうろう状態にある人間の脳とその意識が生み出した科学的な現象に過ぎないのだと思う。

自分が小さくなったかのような感覚

何か大きなものに押しつぶされそうな状態。
そこから抜けだそうとする自分。
自分がとても小さくなったような感覚にもなる。

この感覚は先程の「# 終わりのない作業を延々とやらされる」の作業とリンクすることがある。

部屋の中のベットの上にいる状況を自覚することもある。周りのものが大きく見えたり、遠くにあるように感じられる。自分が小さくなったように感じられる。


とりわけ「# 終わりのない作業を延々とやらされる」の作業とリンクしている状態では、それがとても不快なものに感じられる。

その状態はおそらく肉体と精神が離れた状態であり、その身体が思うように動かせない状況に不快感を覚えているのかもしれない。嫌な作業から抜け出したいが体が思うように動かないため逃れられない、という不快な状態である。

布団をどかしたり、寝返りを打ったりしたいが、肉体と精神が離れた状態にあるため、それができず、不快に感じられるのかもしれない。意味のない作業は、肉体を動かそうとする自身の意識が別の方向に転換されてしまった結果ではないか。

あの無意味な作業は、体を動かすという行為の代替として行われているのかもしれない。なにかに集中しようとする意識が、別の意識に転換されてしまっているのである。「石積み」や「ゲーム」に熱中していた際の経験が呼び起こされ、再現されてしまっている状態にあるのかもしれない。

あるいは、これらはウイルスから体を守るために起こる防御機能・免疫機能の活性化が、夢の中の意識に作用した結果とも考えられないだろうか。ウイルスから体を守らなければならないという肉体の防衛反応が、何かをしなければならないという意識として現れてしまっているのではないかとも考えられる。

巨大な球体に押しつぶされる

なにか巨大な塊を支えているような感覚。

なにかはわからない。無色で熱冷まシートのような透き通ったジェル状の素材、あるいは透明の巨大な球体のようなものに押しつぶされるような感覚。それは水や空気でできたような目に見えない球体でもあったかもしれない。

地面に押し付けられているような状態になることもある。アリや虫のような小さな存在になって、上を見上げているような状態。または平べったくなって地面と同化しているような感覚。

これらの感覚は「# 自分が小さくなったかのような感覚」とリンクすることが多い。

もしかするとこの感覚の正体は、重たい「布団」だったりしないだろうか。ベットで寝る際に掛けた布団や毛布の重みが不快に感じられている状態なのかもしれない。

別の解釈もあるが、そちらは終盤で行うこととする。

円に向かってものすごいスピードで迫っていく

黄色と黒の目玉のような円に向かて突き進んでいる。それはカラスを追い払うために使われる丸い風船(鳥よけ目玉風船)のような的である。

大地をものすごいスピードで駆けていく事が多い。
駆けているというよりは空を飛んでいるような状況。

火星の大地のような何もない赤い砂漠や、干上がった川の間を低空飛行しているような状況。色合いを感じさせない白黒やセピア色のような世界。空は真っ黒、あるいは無色曖昧な色だ。

円が出現すると更に加速し、円の中心まで迫っていく。そして円の近くで停止する直前で急速なブレーキが掛かる。

その際はスローモーションの状態に近いけれど、時間は一定に進んでいるため、とても不気味に感じられる。

またその瞬間はシーンと静まり返ったような無音の状態になる。そしてそのままゆっくりと円に近づき続ける。

何かに向かって突き進む夢の描写はH.G.ウェルズ原作の「タイムマシン」という映画にも出ていた気がする。あれはモーロックの扉に向かってジャングルを駈けていく夢のシーンであった。

低周波の耳鳴りのような低い音が鳴り続ける

「ぼぼぼぼ」という重低音が鳴り続けている。

家庭用ビデオカメラのマイクに当たる風の音のようなイメージ。
音というよりは耳に伝わる振動のようなもの。

ストレスと過労で目や頬の筋肉が痙攣する時のような、連続する振動。
思い出すだけで目がしょぼしょぼとしてきそうなくらいの低周波音。

# 円に向かってものすごいスピードで迫っていく」状態でもこの音の感覚を感じることがあったかもしれない。前述の「シーンと静まり返ったような無音の状態になる」というのは、まさにこの低周波が鳴り止む瞬間のことでもあったように思う。

おそらくこの夢の中で感じている低音の正体は、まさしく筋肉疲労が引き起こした痙攣なのではないだろうか。痙攣による振動を音として認識してしまっているのである。

ただ問題は、夢の中ではそれが長い間続いているように感じられているのだ。一般的な痙攣がどれほど長い間持続するものなのかは分からないが、少なくとも夢の中ではその振動が尋常ではないほどに長い間続いているのである。肉体上の痙攣回数と、夢の中で認識した振動回数は必ずしも一致しないとも考えられるだろうか。数秒の外部刺激が、夢の中では数分の刺激として感じられる、といったことが起こりうるだろうか。不快な夢の体感時間は長くなる傾向にあるのだろうか。脳が覚醒・活性化した状態では体感時間は長く感じられるということだろうか。

カラフルな物体や音が騒がしく増減を繰り返す

視覚や聴覚を刺激する何かが騒がしく荒ぶっている。

スパークルのように刺々しく、自身の意識にまとわりついて離れない。

騒がしい音のようにも感じられる。高い音や低い音というよりは、純粋に騒がしい音。うるさくて大きな音。

その騒がしさが振り子のように反復し、増幅と減衰を繰り返している。

物事が早送りのように荒々しく進んでいるようにも感じられる。

しかし意識や思考はあくまで一定の速度の下にある。この不気味さは「# 円に向かってものすごいスピードで迫っていく」のスローモーションと同質であるが、こちらのほうが仰々しい分だけ狂ったような恐ろしさがある。

この夢の感覚は「# 終わりのない作業を延々とやらされる」とリンクすることもある。混沌とした行為を意味もなくこなし続ける。

騒がしさが収まって楽になることもある。
音がなくなり、シーンと静かに感じられる。
やっと終わった、という若干の安堵感をほんの一瞬だけ感じることができる。

おそらくこれは睡眠時の肉体が感じ取っていた「心臓の鼓動」や「血管の脈動」、「頭痛」「筋肉の痙攣」「呼吸時の運動」が夢の感覚に作用した結果なのではないかとも考えられそうだ。

これらの感覚の正体はとある記憶ではないか

やや突飛な話をするが、これらの夢の感覚には、おそらく過去の「胎内記憶」や「誕生記憶」が関係しているのではないだろうか。

要は、母親のお腹の中にいた時の記憶や感覚が呼び起こされている状態が、これらの夢の正体なのではないか。

自分が小さくなったかのような感覚や、巨大なものに押しつぶされるような感覚は、自身が母親の体内にいたときに受けていた圧迫感などの経験が関係しているとも考えられられそうだ。物事が思うようにいかないことの不快感や焦燥感には、母親の体内で常に身動きの取りづらい状況に置かれていた時の感覚や記憶が関係しているのかもしれない。

また極論ではあるが「精子記憶」というものの存在も考えられる。

その場合は自分が精子だった頃の記憶(あるいは本能のようなもの)が夢の中の感覚と結びつき、記憶の再現が行われていると考えられる。

なかなか突拍子のない話だが、これが意外とそれらしく説明できてしまうから面白い。

まず、「# 低周波の耳鳴りのような低い音が鳴り続ける」にある低周波の音は、移動する精子の運動が引き起こす振動と同質のものであると考えられる。

# 円に向かってものすごいスピードで迫っていく」の黄色と黒の的は、目的の卵子を表している。

また「# 巨大な球体に押しつぶされる」で押し潰してくる巨大な球体は受精時の卵子を表している。透明の物体の正体は卵子の表面を覆う透明帯であろう。

黄色と黒の的に接触する瞬間や、透明の球体に押しつぶされる瞬間に、全て音が消えてシーンと静まり返るのは、おそらく精子が透明帯を通過して卵子に取り込まれたことによって、精子の運動が停止したためである。的の直前でスローモーションになるのは卵子への侵入を試みているためである。

自分が小さくなったように感じる感覚や、巨大な透明の球体に押し潰された際に感じる不快感や恐怖の原因は、精子が卵子に取り込まれて身動きの取れない状態に陥った時に受けた圧迫感や、巨大な卵子という存在から受ける威圧感が関係しているとも考えられる。ちなみに、よく人は巨大なものに畏怖の念を抱くが、それは母親の存在によるところが大きいのではないだろうか。

このように、我々は自分たちが精子だった頃の記憶(感覚あるいは本能)を何らかの形で保持しており、それが発熱による睡眠時の感覚と結び付き、記憶の再現が行われているのではないか。感覚の再生や干渉・リバイバルと言ったほうが分かりやすいかもしれない。

誤解してはならないことだが、私は睡眠時に完全な過去の記憶を見ているわけではなく、それはあくまで「夢」であり、創造の結果に過ぎない。しかしその創造は、生物の本能的な領域にある感覚や経験のようなものがベースとなっており、そのベースこそが「精子記憶」なのではないか、というのが今回の主張である。

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