仮想現実と救い|夢から覚めた夢という名の現実

もしもこの世界が水槽の中の脳の見せる世界だったとしたら、人々が仮想現実に求めている世界はどんな意味を持つのだろうか。

仮想現実が流行るとは思えない

もしそこに意味も価値も無かったとしたら、この我々の生きる世界の意味は如何なるものとなるのだろう。

あるいはもしも仮想現実の中にこそ真の価値を見いだせるとするならば、この現実世界というのは救いようのないものなのであって、人々がそこから逃れようとすることは当然のことと言える。この世界の大半の人たちは、他人の豊かな人生を盛り上げるためのモブキャラとして日々生かされている。戦争も経済成長も、それに伴うあらゆる破壊も、すべては他者の満足を満たすための生産活動の結果でしかない。

意味のない世界で意味を探し続けることが人々の生きる意味であり、人はその過程にこそ価値を見出すが、しかし現代の人々は自らの生きるその瞬間に価値を見いだせずにいる。もはや意味を求めることそのものが負担になってしまっている状況にある。人々は無駄に世界を背負って苦しみ続けている。この現実世界が困難な無理ゲーであると理解ってしまったからこそ、人々は仮想現実の世界に新たな意味を求めるようになったのだ。

どうも我々は前に進み続けることでしか幸せになれないと思い込まされている節がある。進む先で豊かになれる保証など無いはずなのに、人々にはその先が遠く輝く希望に見えてしまっているし、そもそも全ての人間が停滞や後戻りを選択できるわけではなく、その選択に未来がないことも理解しているから、人々はただ前に進み続けることしかできない。

この前進を幾度となく繰り返してゆくことが人間の宿命であり唯一の存在意義なのだ。

これはあまりにも残酷で無意味な世界ではないだろうか。

でもそうやって前に進み続けないと、この世界はブラックアウトしてしまうのだ。そして自分の存在が、この世界でただ一人佇む水槽の中の脳であることを悟り、その孤独に恐怖することになる。

これは輪廻の輪から外れることへの恐怖だ。影響し合う他者の存在や、意識と密接に繋がっていた肉体(アバター)という名の水槽を失うことへの恐怖だ。先の見えない深海よりも真っ暗な世界に放り出され音もなくただゆっくりと落ちてゆく恐怖。元いた世界がどんどんと離れてゆく孤独。そして人の意識というものは過去にも未来にもなく、今この時この瞬間にこそ存在することを身をもって知る。未来に期待して前に進んでいる自分も、後悔の過去を生きた自分も、それらは全てこの浮遊する意識の見せる夢の中の自分に過ぎない。

そしてこの世界には選択可能な現在すら存在せず、そこにはただテープをなぞるヘッドとそれを解釈する我々の意識だけが存在している。人々が遠く輝く過去の星々を眺めるように、我々の意識もまた確定されたその瞬間の自分を見つめているに過ぎない。人は何も選択することなく、ただ感じているだけの存在である。

あなたの目の前に見えているその世界は現実ですか?
あなたの後ろに世界は存在しますか?

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