最近のネット民は「煽り」や「返し」が下手になったように思う。
昔は「何言ってんだこいつ」で済んでいたことを、
今は「お前は間違ってる」「お前はクソだ」と言って、
誹謗中傷や人格攻撃をしないと気が済まなくなっている。
今のネット | 昔のネット |
---|---|
頭おかしい・あたまがわるい | 何言ってんだこいつ |
必死すぎ・クズ | 何と戦ってるんだ |
いかれてる・あほか | お薬切れてますよ |
直接的に言わないとダメみたいな、変な風潮がある。
もっと冷たく遠回しに接したほうがいいのではないか。
昔のネット表現 | 直接的な表現 |
---|---|
またお前か | いい加減にしろ |
必死だな | やめろ・ふざけるな |
涙拭けよ | 必死すぎ・ダサい・ざまあみろ |
効いてる効いてるw | また発狂してるんですか? |
何言ってんだこいつ | 主語がデカイ・嘘松 |
ネタにマジレスかっこ悪い | 曲解すんな・冗談も通じないのか |
ググれカス・自分で調べろ | ソースならここにありますが |
顔も見えないような相手のことを考え過ぎるのは精神的に不健康だから、
もう少し肩の力を抜いてみてはどうだろう。
目次
批判の中にある優しさ
昔は嫌悪感をテンプレで間接的に伝える文化が主流だったから、お互いにスルーもしやすかったように思う。
オブラートに包まれた「からかい」の文化が上手く成り立っていた。
今みたいな、直接的に自分の言葉で意見を伝える時代よりも、平和的だったような気もする。
昔のネット表現 | 直接的な表現 |
---|---|
涙拭けよ | ざまあみろ・だっさ |
香ばしい・微笑ましい | 痛すぎて見てられない |
そっ閉じ | 頭おかしい |
エスパーかよ | 統合失調症特有の妄想ですね |
ネットは初めてか? 力抜けよ | 病院に行ったほうがいい |
お薬増やしておきますね | また馬鹿が騒いでる |
という夢を見たんだろう? | お前の妄想だろ |
釣り乙 | お前は嘘つきだ |
相手に気を使って、角が立たないような嫌味や冗談を言ったり、茶化したりしていて愛があった。
あれを愛と言ってよいのか、賛否両論はあるだろうが、少なくとも「配慮」のようなものは感じられた。
あのミジンコ程度の優しさが、それなりの救いになっていたのだ。私も叩かれる側を何度も経験してきたが、あの微妙な慈悲深さの感じられる柔らかいインターネットが嫌いではなかった。
昔のネット表現 | 直接的な表現 |
---|---|
もう許してやれよ | ここまでくると見苦しいな |
こいつの人気に嫉妬 | こいつ叩かれまくっていてダサい |
半年ROMってろ | 場違いなこと言うな・歪曲すんなカス |
どんだけ好きなんだよ | アンチうざい |
本当は好きなんだろ | 粘着すぎてキモイ |
お前らいい加減に結婚しろよ | こいつら全員クズ |
お前が言うな | ダブスタだ、説明しろ |
馬鹿なの?死ぬの? | 馬鹿、死ね |
逝ってよし | 死ね |
生きろ | 死ねは誹謗中傷、通報します |
通報しますた | 不謹慎です・訴えます |
やる夫のAAを貼る | リツイートして晒す |
グロ画像を貼る | ブロックする |
この嫌悪感や憎悪を糖衣に包んで優しく相手にぶつける行為に、人々はある種の優越感のようなものを得ていたようにも思う。人々は間接表現を通して、自分たちが相手よりも優位な立場にいることの余裕や安心を感じていたのではないか。
相手を叱りながらも、どこか相手を身内として受け入れようとする姿勢も感じられた。
失われた曖昧さの文化
煽りの文化は、その言葉の曖昧さゆえに、問題をうやむやにでき、それが争いを避けることにも繋がっていた。煽る側は憎悪を発散してスッキリできるし、逆に煽られた側は相手が負けを認めたと思えて気が休まる。
昔風のネット表現 | 直接的な表現 |
---|---|
めっちゃ早口で言ってそう | 発狂してんな・必死すぎ・マジになりすぎ |
長文うざい・意識高すぎ | ポリコレ・屁理屈・正論で人を殴るな |
こんな時間に仕事しないで何やってるんですか | 粘着すぎてキモイ |
それ、あなたの感想ですよね? | ソースを出せ、今すぐ出せないなら俺の勝ち |
ウシジマくんに出てきそう | 顔がキモイ・性格が悪い・見苦しい |
「多対多・多対一」の性質が強い「2ちゃんねる」や「はてなブックマーク」のコメント欄だけが、この煽りの文化を根強く残しているが、「ツイッター」のような「一対一・一対多」の世界では、この煽りの文化が廃れてきているように思う。
ツイッターと2ちゃんねるの非難罵倒|今と昔のネットの何が変わったのか
匿名掲示板の時代では全体の意見を代弁することが多かったが、準匿名的で人々との繋がりも限定されているSNSの時代では個人の意見を主張しようとする傾向にある。全体的な正しさを共有できない時代がやってきた。
ネットの大衆化がもたらしたもの
一応、定型文で煽る文化は現代にもあるのだけど、メンヘラ的で面白みは感じられない。現代のネットは政治的な場になって、ユーモアが無くなってしまったように思う。心情を比喩的に吐露するような、どこか女性的で感傷的な表現も多い。抽象的・内向的な表現を好むオタク的な文化とは似て非なるものだ。
直接的な表現 | メンヘラ的な表現 |
---|---|
お前は間違っている | これはひどい |
やめろ・ふざけるな | あたまがわるい |
また馬鹿が騒いでる | 頭がクラクラした |
馬鹿らしい | 頭痛が痛い |
ダブスタ死ね | 目眩がした |
馬鹿・死ね | 涙が止まらない |
死ね | 怒りに震えてる |
ソースならここにあります | もにょってなった |
歪曲すんなカス | 〜にはウンザリ |
頭おかしい | ハッとさせられた |
いかれてる | 腑に落ちた |
やっぱクソだな | 合点がいった |
きっと悪いことに違いない | 軍靴の音が聞こえる |
一応、現代でも間接的な表現は多く生み出されてはいるが、より遠回しで辛辣な表現になっている。被害者意識を露骨に表現しようとする傾向にある。
現代の遠回しな表現 | 発言の真意 |
---|---|
怖すぎて泣いちゃった | 相手の異常さを強調 |
真顔になってる | 自分は真っ当で相手が異常 |
ひどすぎて目眩がしてきた | 上から目線で呆れて相手の愚かさを強調 |
それ以上いけない | 相手の滑稽さを際立たせる |
怒りに震えて涙が止まらない | 周りの同情を引いて相手を貶めたい |
京都人が使うような回りくどい表現は昔からあるが、現代の鈍感なネット民には高度すぎて理解できないような気もする。
直接的な表現 | 京都人が使いそうな表現 |
---|---|
お前は間違っている | 賢い人ですね |
頭おかしい | 学者さんみたいですね |
やめろ・ふざけるな | ご立派な志をお持ちですね |
また馬鹿が騒いでる | なんだか賑やかですね |
死ね | 死ねどす |
先に出しとけ・いい加減に作れ | ポイントカードはお持ちですか? |
唯一、ツイッターの「画像リプ(画像付きの返信)」だけが、煽りの文化を正当に引き継いでいるように思う。多くの人たちがテキストでそれを伝えようとしないのは、「既に画像リプでやられてるから必要ない」「誰かが先に貼ってくれるだろう」と皆が思ってしまっているためなのだろうか。あるいは、テンプレ的・間接的な返しはもう古いと思われているのだろうか。「負け惜しみ」や「反論できない人」のように見えてダサいと思われているのだろうか。言葉の裏にあるものを読み取れない人たちを意識しているのだろうか。多くの人に伝わるような直接的な表現が好まれているのか。それとも、自分の意見を自分の言葉で伝えることこそが、彼らの意義になっているのだろうか。それにしては論理性の失われた感情的な罵倒で溢れている。ネットユーザーの低年齢化や、若者世代の劣化、2ちゃんねる世代の断絶も考えられる。少なくとも一線を越えるような過激な発言を行う人達というのは、全体的に見れば少数派なのだろう。
あるいは集団の力で相手を茶化して黙らせるような2ちゃんねる的なやり方が通用しなくなってしまったことも大きいのだろう。2ちゃんねるはサークル内の喧嘩だったが、ツイッターは野外の喧嘩であるため、人通りの少ない個別のタイムライン上で相手に戦いを挑もうものなら、自分を擁護をしてくれる観客が圧倒的に少ない不利な環境に身を置くことになる。相手のフォロワーの袋叩きにあう恐れだってある。だから相手を茶化したり挑発するような危ない真似はできないし、多数派の意見や空気感を味方につけることもできない。そのため具体的な正論で相手を黙らせるしかなくなってしまう。しかしユーモアのない正論によって叩かれた相手はより強く反発し、結局は不毛な言い争いへと発展してしまうのだ。
結局のところ、ネットは大衆化してしまい、お互いに皮肉も理解し合えないような世界になってしまったのだろう。冗談の通じないマジな人間が増えてしまった。みんなギラギラしていて、余裕が感じられないのだ。
それは2ちゃんねるの時代と似ているようで微妙に異なっている。あの時代の悪い部分を増長したような、より暗くねちねちとした陰険な時代になったようにも感じられる。2ちゃんねるの一部で行われていたようなことが、ツイッター全体で行われているような印象を受ける。少人数の閉じた部屋の中で行われていたようなことが、大勢の集まる広場で行われるようになり、その大人数ゆえに議論のこじれや混乱も収拾がつけられないほどに激化している。民度の低い配慮のない者たちが大きな声で議論を妨げ問題をこじらせている。もはやネットは裕福な選ばれし者たちの世界ではなくなったのだ。
あのかつての、どこか知的で冷たい殺伐とした奇妙な時代は、もう永遠に訪れないのだろう。