「ため息をつくと幸せが逃げる」は因果関係が逆で、実際のところは「幸せではないからため息が出る」のほうが現実的ではないだろうか。
ちなみに、ため息には自律神経のバランスを整える効果があるため、ため息の我慢はむしろ良くないものとされている。
なお世の中には他人のため息に不快感や不安感を覚えるような者たちもいるが、ただそういう者たちは「ため息をするな!」「周りの迷惑だ!」「見てるこっちが嫌になる」と正直に言えないがために、遠回しに「ため息をつくと幸せが逃げる」とそれらしいことを言って暗にそれを止めさせようとしているという見方もできるかもしれない。
俗説を都合よく利用しているわけだが、もっともこれは相手を傷つけないための奥ゆかしい配慮とも受け取れるだろう。
子供を躾けるために親が都合の良い嘘を言うことがあるが、その手の脅しや方便と同じようなものと言えば分かりやすいだろうか。
夜に口笛を吹くとオバケが出るよ/ヘビが出るよ
- 実際は近所迷惑になるから吹かせたくないだけ
- ダメと言うと反発されるので代わりに外的な恐怖を持ち出している
- 説得力や責任の所在を幽霊や妖怪といった盲信された曖昧な存在の側に委ねることで現実的な反論や反証を困難にしている
暗くなったら幽霊が出るから門限までに帰ってくること
- このオバケはチカンの暗喩にもなっているように思う
- 子供に痴漢や誘拐がどう恐ろしいのかを難しく説明するよりも、既存の分かりやすい恐怖を代用するほうが簡単で都合が良いのだろう
スイカの種を食べるとヘソから芽が出る
- 消化に悪いから食べさせたくないという説がある
- 畑に蒔くために種を残したいという説がある
雷が鳴ったらヘソを隠せ
- ヘソを押さえると姿勢が低くくなり雷を回避できると考えられている
- また気温変化によって冷えたお腹を温めるためとも言われている
- いずれにせよ子を守りたい親の気持ちの表れであろう
○○するなんて罰当たりだ
- 自分が不快に思うから止めさせたいだけ
- 目障りな振る舞いを止めさせて安心したいだけ
- 神様や世間のためではなく結局は自分のため
ちなみに私がこの世の宗教や文化・風習・慣習に批判的なのは、その教えや習わしにあの手の人為的な欺瞞が感じられてしまうためなのかもしれない。説教臭さ以前に胡散臭さが感じられてしまうのだ。民衆をコントロールするための規範であるにもかかわらず、それがあまりにも曖昧で脆いものとして成り立っているからなおさら素直に受け入れることができない。規範や教えは合理的で美しいものでなければならず、せめてでも誠実なものであるべきだと思う。
縁起やタブー・ジンクス・歴史・思想も似たようなものだろう。
「4」が「死」を連想させ縁起が悪いというのも、結局はその連想を不快に思う者たちがいるために忌避されているだけであって、4という数字自体に死への誘因や呪いの類が宿っているわけではない。これはあくまで気持ちの問題でしかなく、またその偏った認識や価値観を押し付けているのは4という数字を不快に思う者たちの一方的な側である。あるいはむしろ迷信や禁忌の存在そのものが人々の意識を歪めているとさえ言える。これこそが人を縛る呪いの正体ではないか。そしてその呪いはウイルスのように伝染する。
4という数字の利用を不謹慎と非難するクレーマー紛いの者たちもいるが、あの手の者たちの屁理屈はただただ不寛容で傲慢なものに映る。4という数字を不快に感じる者たちへの配慮を考えること以前に、彼らの過剰で不寛容な姿勢のほうがよほど害悪のように思えてしまう。
迷信や禁忌というのはそれを伝える者にとって都合の良いものでしかないのだろう。そして多くの者たちはそれが嘘や詭弁であると薄々気づいていながらも便宜にそれを利用してしまう。だからこそ俗説の類は意味や形を変えながらも根強く受け継がれてきたのだろう。人々は暗黙のうちに虚構に加担し、その存在を強化してきたが、そこに罪の意識は僅かでもあっただろうか。
虚構は人の世の生み出した知恵であり罪でもある。
そして我々はその恩恵と罰を同時に背負い続けている。