寝取られトロイと竹取の悪女|グローバリズムは無慈悲で醜い闘争本能

「トロイア戦争」と「竹取物語」には無垢な女性に狂わされる愚かな男たちの醜い争いが描かれている。

歴史的な物語における女性の存在は、国や社会を滅ぼす原因となる恐ろしい存在としてしばしば描かれる。それによって人々は女性という生き物のもつ無自覚の残酷さや、女性に主導権を握られることの恐ろしさをも考えさせられるわけだが、もっともこれらの物語は女性に権力を与えたくない男性権力者たちの忌避感の表れであり、戒めでもあるのかもしれない。

崩壊した共同体を立て直すのは残された女性たちではなく男性たちである。生き残った既存の社会の男性たち、あるいは異なる社会の男性たちが雄の使命を引き継ぐことになる。女性たちはその新たな男性主導の社会の中に取り込まれ、そこで新たな生殖の機会を得て種の多様性を担保してゆくが、しかしその社会もいずれまた同じように崩壊を迎え、この構築と崩壊は幾度となく繰り返されてゆく。共同体に生きる男たちはこの世代交代に伴う生物的な淘汰を恐れているわけだが、しかし女性たちはその世代の循環を求めてやまないのである。

かぐや姫の罪とはまさにこの円環の中にその身を投じたことにあるのだろう。この繰り返しを本能的に求めるがために、女性たちは男性主導社会の中に生きることの苦しみを輪廻の罰として負い続けなければならないのである。

世の男性たちがなぜ女性の社会進出や西洋的正しさを恐れるかと言えば、それは自分たちの役割が失われていくことへの不安や、激化する競争社会・資本主義・新自由主義への危惧、少子化への懸念、西洋化する社会への忌避感があるためだろう。グローバル化による既存の文化や価値観の崩壊、列強の外国人男性たちの流入、自国の女性たちの流出によって自分たちの種の存続が脅かされていくことを、衰退国の男たちは恐れているのである。

事実、劣勢国にとってのグローバル化は負け戦でしかない。グローバリズムとは強国が弱国を搾取するためのシステムであり事実上の植民地支配の論理なのである。

先進国の効率的で豊かな生活は、途上国からやってきた家政婦や肉体労働者、そして貧困国で働かされている貧しい子どもたちの犠牲の上に成り立っている。途上国からやってきた女性たちはそれによって新たなチャンスと出会いを得られるかもしれないが、しかし貧困国で働かされる子どもたちは教育の機会が得られないために、無知と貧困から抜け出すことができず、いつまでも搾取され続ける。搾取する者たちがいる限り、搾取される側の存在がなくなることは決してない。

グローバリズムというものは人類の崇高な理念でもなんでもなく、その内実は穢れた貴族の強欲や男性の劣情と寸分違わず醜いものである。

近年、疫病の脅威によって世界の情勢は大きく変わりつつある。これは人々の生き方を見直すまたとない機会となるだろう。内需に目を向け、目の前の他者と共に生き、人と自然をいたわる中で急速な成長とその限りない欲望を手放すことができたなら、人々は日々の安らぎと実りある幸福をいつしか取り戻すこともできるだろう。この世界にはしばしの休息が必要である。

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