NTRの不快感|なぜ寝取られが気になってしまうのか

寝取られ物の不快感というものは、大切な機会を逃したときの後悔に近い感情のようにも感じられる。だとすれば、あの感情は女性を簡単に奪われてしまうような不甲斐ない自分に対する苛立ちや無力感でもあるのかもしれない。

そしてその自身の無力さを受け入れられないからこそ、受け手は作品の世界にのめり込み、女性キャラクターのへの加虐を見届けることによって、そのような不安の解消や満足を得ようとしたり、一部の受け手は寝取られた女性の側に感情移入することによって、寝取られる無力な男性側の不快感から逃避しようとするのではないだろうか。

成人向けコンテンツの「ヒロイン羨望」と「女性への感情移入」について
寝取られ(NTR)が流行りだした理由を考える
要約:この格差社会で男としての自信を失ってしまった若者たちは、もはや寝取る側の強い男性に感情移入することができなくなっている。また表現規制の強化やフェミニストたちの訴えによって、「男性の加害性」を世の男たちは強く意識させられるようになった。そのため受け手は加害者ではない寝取られる側の弱い男性に感情移入したり、はたまたヒロインの側に感情移入することによって、女性に向けられた加害の背徳感を間接的に実感し、自らの欲望を曲がりなりに満たそうとするようになったのではないか。

寝取られは受け手の焦燥感を掻き立てる。その焦燥感は女性が奪われることの危機感によるものであり、それに伴う闘争心や復讐心、憤怒の感情を我々は性衝動に代え、その解消を欲するのだろう。

寝取られ物が人々を惹きつける理由は、それが人々の不安を煽る表現物だからであり、なおかつ、その不安の解消が即座に行える簡易なコンテンツとして成り立っているためだろう。

そもそも女性はなぜ不倫をするのだろうか。あるいはなぜ異なる世界の男性に惹かれるのだろうか。女性が男性の闘争心を煽るような行動を取り、それに男性が衝動的に突き動かされるのには、何か生物的な意味があるのだろうか。しばしば女性が男性同士を争わせるような振る舞いを取ってしまうのは、それが強い男性を選別するための生物的なメカニズムとして成り立っているためではないか。女性が男性の闘争心や復讐心を煽るのは、それらの感情に潜む「暴力性」を無意識に追い求めているためとも考えられそうだ。

多くの男性がNTR物を心なしか嫌っているのは、そのような選別や淘汰に対する恐怖や、それに抗うことへの億劫さがあるためではないだろうか。彼らは自身の心を不用意に動かされたり闘争心を掻き立てられることを嫌っているのだろう。

これほど嫌っていてもなおNTRに惹きつけられてしまうような人々もいるが、それは自分たちが淘汰される側であることを自覚しているが故の危機感があるためなのだろうか。この衰退途上国の中で男としての自信と誇りを失った現代の弱者たちは、この寝取られ物に自身の境遇や行く末を重ねざるを得ないが故に、決して目を背けることができないのかもしれない。しかし彼らの多くは突き動かされた衝動を自らの向上心へと繋げることはなく、ただ空想上の罪深いヒロインたちに与えられた罰に満足しているだけなのである。

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