人はなぜ音楽に感動するのだろうか

人はなぜ音楽に感動し涙するのだろう。

おそらくその要因は複数あり、人によって感じ方も様々だと思う。

曲に付随する情報や背景を思い起こされることによって感動(共感)することもあれば、自然的・神的な曲の印象に圧倒され、心地の良い無力感(畏怖)を感じることもあるだろう。作曲者の技巧や能力とその蓄積に感動(尊敬・畏敬)することもあれば、演奏者の表現力に感動(感服)したり、歌手の歌唱力や歌声に感動(興奮)することもあるかもしれない。作り手の人格と作品のギャップに感動(反省、驚愕)することもある。歌詞の内容と曲の雰囲気がうまく合致している場合にも感動(安心、称賛)を覚える。反対に歌詞と曲調の隠されたギャップに同情や感動(哀れみ・慈悲)を覚えることもある。これまでにない新たな表現に感動(困惑)し価値観を変えられてしまうこともある。予想を裏切る展開に新たな可能性を感じ(快楽・期待)、前向きな気持ちになることもある(闘争心・焦燥・不安感の解消への欲求か。性欲と似ている)。反対に予想通りの展開に安心感(幸福・安堵)を覚えることもある。

現代における音楽の感動というものは、主に人間的・文化的な背景が垣間見えた瞬間に引き起こされているものでもあると思う。

なお、いずれの例の感動にしても、その根底を支えているのは「ハーモニー/ポリフォニー」や「リズム」の存在ではないだろうか。

複数の楽器が異なる旋律を奏でて一体感を演出している。複数の音がリズムを形成し同調し合っている。それらの姿に、私たちは感動のきっかけを見出しているのではないだろうか。そこに音楽の「意志」が感じられるからこそ、人は音楽によって様々な解釈や感情を掻き立てられ、興奮ないし感動することができるのではないか。一体感の増幅と減衰、緊張と緩和の揺らぎによってもたらされる情緒によって我々は感動を見出すことができるのではないだろうか。

思えば、一つの主旋律によってのみ奏でられた音楽に感動する機会というのはあまりない。菅野よう子の「VOICES」の冒頭部分や、童謡のメロディ、バッハの無伴奏曲にはその孤独さ故に心動かされるものがあるが、心の動揺が生理的なものとして表れるようなそれ、例えば心拍数が上がったり、鳥肌が立ち涙が出るようなもの、また胸の奥から込み上げるような快楽や多幸感が伴うようなもの、生い茂る草花のように自然で厳かなハーモニーにただ呆然とさせられるようなものとは少し違う。既存の曲の主旋律のみの演奏を聴いて感動することもあるかもしれないが、それは既存の曲の伴奏や雰囲気を無意識に想起しているためだろう。仮にその他の新たな曲の純粋な単旋律に感動を覚えることができたとしたら、それは上昇し続ける旋律や飛躍する旋律、突如下降する旋律、繰り返される旋律にリズムや時間軸を感じ、そこに情緒を見出すことができるためかもしれない。既存のメロディや言葉の印象を想起させられることもあるだろう。ふと思い出す童謡のメロディとその感動(動揺)は失われた過去へのノスタルジーによるところが大きいと思われる。バイオリンの無伴奏ソナタも、結局は分散和音を用いていたり、伴奏と主旋律を交互に弾き分けることによって事実上のポリフォニーとリズムを演出している。

一昔前に流行った「EDM」という過激な音楽ジャンルが世界的に受け入れられたのも、このハーモニーとリズムの存在があってのことだと思う。微妙にピッチのずれたシンセサイザーの音を何重にも重ね作り上げた「人々の歓声」を思わせる音色やノイズ音が大衆の興奮を掻き立てているのだろう。あの遠くから聞こえてくる無駄に人数の多い管弦パートのような音色や、フォルマントの効いた合唱のような響き、バグったパイプオルガンのような音色は主に「SuperSaw」と呼ばれる波形を元に作られていることが多い。トランスサウンドはオーケストラサウンドの模倣として築かれたものではないか。

なおキックとベースの低音は雷鳴の轟や地響き、SuperSawの騒がしさには豪雨のそれを思わせるものがある。いずれも非日常や自然の雄大さを感じさせてくれるためか、妙に惹きつけられるものがある。二声体を超える声部を持つ音楽が心地よいと感じられるのは、それが川のせせらぎや、風になびく草花の音、鳥のさえずりといった自然界の調和する音の感覚と重なるところがあるためではないだろうか。

音楽には「自分は一人ではない(自分は大勢の存在の中に生きている、他者との関係性の中で生きている)」という安心や、「自分たちはこの地球の中に生きる生命の一つである(孤独などどうでも良くなる。この世界が確かに存在している)」「人間の作り出す社会も人生も所詮はちっぽけな存在に過ぎない(もっと肩の力を抜いて生きてもよい。人間が存在せずとも世界は存在し続ける)」「偏った認知やペースを変えてくれる」「幼い頃の体験にこそ本質的な価値がある(現状の異常さに気づき逃避してもよい・引き返しても良い)」「還る場所がある」と感じさせてくれる力があるように思う(ちなみに筆者は自然や廃墟を眺めるときにも、これらと同じような気持ちになる。音楽は自然を模倣するものではないか。音楽は過去の体験や居場所を思い起こさせる力を持っている)。

ハーモニーやリズムはその力の根幹を支えるものであり、そこにこそ音楽的な感動の本質があるべきであって、曲に付随する歌詞や文化的背景・作家性によってもたらされる感動とはまた別のものとして切り離して考えるべきものではないかと思う。

音楽はもっと自然的なものであってもよいのではないだろうか。バロック期の音楽にはそれを感じさせてくれるものがある。過去や自然との調和と回帰、それが社会に生きる私たちの求めるべき音楽の方向性である。それは今のこの時代にこそ求められるべきものなのである。

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