自分を肯定してくれる相手がもっとも恐ろしい|ネットに巣くう死神の誘惑

相手からの否定や批判は、自分の立ち位置を知る良いきっかけにもなっていた。
それによって世間を知り、自身の偏った考えを改め、社会に適応することができた。

しかし現代では、否定よりも先に肯定が返ってくる。

その「肯定」はある種の「誘惑」だ。

他人の無責任な肯定によって、人は自身の偏った考え方と向き合う機会を失い、果てには自身の言動の全てを正当化するようになる。

現代の人々は、特定の情報や思想を自ら選択しているようでいて、実は選択させられている、ということに気づいてすらいない。

同袍を求める孤独な集団に手首を掴まれ、暗く恐ろしい世界に引きずり込まれようとしていることにも気づかず、無邪気に正義を振りかざしている。

変わらない世界を必死に変えようとしても、世界は決して振り向いてはくれず、終いにはその大切だったはずの世界を壊してしまう。

彼らと同化した先に、真っ当で幸せな人生などあるはずもないのに、人々は自ら進んでイデオロギーに溶け落ちようとする。

彼らの求める絆はお互いの傷を舐め合うための束縛でしかない。その歪んだ繋がりは、お互いの傷をえぐり合うものであるにもかかわらず、彼らはその内因に気づかないふりをして、ひたすらに憎悪を募らせ、より強い共感と新たな仲間を欲し続ける。

彼らは破滅を誘う死神のような存在だ。あれは優しい言葉で人々を誘惑する悪魔の囁きだ。

自分を否定してくる相手よりも、自分を肯定してくれる存在のほうが、よほど恐ろしいのである。

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