ビデオテープの記録もフォトアルバムの記録も、我々の記憶を繋ぎ止める大切な記憶と言える。だから、ひょっとすると記録を捨てるということは、記憶を捨てることと同じことなのかもしれない。
記憶の外部化が加速するデジタル社会
思い出という物は形にして残すと後々思い出しやすくなるものだ。だからテクノロジーの発展によって自身の記憶を手軽にデジタル情報として残せるようになった今の時代と言うのは、とても恵まれていると感じる。ただ同時に、記憶の外部化に依存しすぎるのも良くないのではないかとも思うのだ。少なくともライフログみたいなものは意識的に記録すべきものではない。
記憶の外部化と自己の消失
人の人格は記憶や経験によって形作られていると考えれば、外部化によって曖昧になった記憶や経験は、自己の認識までもを曖昧にしてしまうのではないかとも思えてくる。もし仮に人から記憶を完全に切り離せたとしたら、そこには何が残るだろう。ある日突然コンピュータがこの世からなくなったとき、外部化された記憶はどこにいってしまうのだろう。自身の記憶を外部装置に委ねることは、実はとても危険なことなのかもしれない。
テクノロジーの発展は人間を脆弱にしてしまう。