利便性や生産性を追求した先に 何があるのだろう

テクノロジーや利便性、効率性や生産性の追求は、人々の間に余計な競争や争い事を生みだすだけで、何の解決にもならないと感じる。

必死になって生産性を追求する周りの人たちに追いつくためには、自身も同じように便利なものを求め、取り入れ、生産性や効率性を追求し続けなければならない。きりがない。

どんなに格好いいガジェットを取り入れたって、残業がなくなることはないし、ブラック企業は今も増え続けている。周りの人間が同じ技術や技法を取り入れている以上、もっと別の新しいテクノロジーや差別化で他者を追い越すしかない。きりがないのである。ブレイクスルーだけが唯一の救いとなってしまっている。しかしそれもまた根本的な解決にはなっていないのである。創造的破壊は弱者を救わない。

利便性の追求やテクノロジーの発展は不毛な利益追従ばかりを生み出す。どんなに便利なものを取り入れても、結局は無駄に消耗するだけで、相対的に見ると、得られるものは昔から何一つ変わっていない。それどころか格差ばかりを生み出している。得られる恩恵よりも副作用のほうが上回ってしまっている。

我々は一体何を目指しているのだろうか。

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