ヒーローが嫌いで悪役が好き|正義のヒーローと悪について考える

アンパンチの暴力性が問題になっている。

どっかの尖った色眼鏡のザマス奥様がクレームを付けたらしい。
こどもの教育に良くないんだと。

俺はそれより、アンパンマンをバイオレンス作品として見られるその才能に思わず嫉妬してしまった。

その発想があったのかと。
思わずハッとさせられて色々と腑に落ちて合点がいった。

たしかにアンパンマンは暴力的な奴だと思う。

思えば、俺は昔からバイキンマンに対しては同情的だった。

正義を盾にバイキンマンをこてんぱんにやっつけるアンパンマンがたまらなく嫌だった。
正義の側であるはずのアンパンマンの方がむしろ悪者に見えてしまうほどだ。
いつしか俺はバイキンマンを応援するようになっていた。

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「守りたい、この笑顔」

暴力的なアンパンマンからバイキンマンを守る党

確かにバイキンマンは周りに迷惑をかけるクソ野郎だが、その誤ちを100倍にして返そうとするアンパンマンの流儀はどうにも理解できなかったのだ。

あまりにもやりすぎだろうと。
その根拠はどこにあるんだと。
お前は半沢直樹なのかと。

何が彼をそうさせるのか理解できなかった。
ヒーローという存在があまりにも不気味で恐ろしいものに見えた。

正義のヒーローは悪役がいるからこそ存在できる、と誰かが言っていたような気がするが、本当の所はどうなのだろう。

ヒーローというものは単に作者の主義主張やエゴを体現した存在に過ぎないのかもしれないし、あるいは大衆がヒーローを求めているからこそ存在できるものなのかもしれない。

しかし仮にヒーローを求める側が間違っていたとしたら、そのヒーローは悪にならないか。

大衆は自分たちこそが正義であると思い込みたいからヒーローを求めるのではないか。
ヒーローは自分たちの抱く憎悪や反感を正当化してくれる存在でしかないのではないか。

では悪役はなんで存在しているんだ。

ヒーローを活かすための都合の良い道具として生かされているだけなのではないのか。
ヒーローと悪役は陽と陰の関係にはなく、所詮は主体と背景の関係に過ぎないのではないか。

だから俺はどうしてもヒーローを認めることができない。

一方的な正義を押し付けるだけの存在にしか見えないのだ。
むしろやられていばかりいる悪役のほうが可哀想に思えてしまう。
そんなことを言うと不謹慎な人間と思われるかもしれないがそれでも構わない。

周りに悪役が好きだと言ったら、異物を見るような目で見られたこともあった。
それでも俺は悪役を憎むことができなかった。
やはり正義のヒーローよりも、悪役のほうに魅力を感じていた。

それは今でも変わっていない。

自分たちの野望や目標のために日々懸命に努力する悪役に、人間らしさを感じるのだ。

報われない努力だと分かっているはずなのに、前向きに頑張ろうとする彼らに、生きることの意味を突きつけられるのだ。

何度でも立ち上がり挑戦し続けるその姿に、生きるものの儚さや貴さを突きつけられるのだ。

ところが正義のヒーローと言われているあいつらはどうだ。

あれは本当に彼ら自身の意思なのか。
そこに自我はあるのか。
あいつらに感情はあるのか。

だれかに操られてヒーローみたく振る舞っている人形のようにしか見えない。
ことさらに悪を見つけ出し正義になろうとする何者かにしか見えない。

自ら考えることをせず、なんの葛藤も持たず、ただ忠実に大衆の不満と憎悪を代弁し続けるだけの機械にしか見えない。

正義感に囚われた盲目的なヒーローは決してヒーローとは言えない。

欲望と目標を持って努力する悪役のほうがよほど人間的なのではないか。

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