自分たちが不快になるようなことを決して許せない人たちがいる。あまりにも繊細で潔癖で神経質な彼らは多くの問題を絶えず気に留めてしまい、些細なことですら見過ごすことができない。そこで生まれた不快感や焦燥感から逃れて安心を得るために、彼らはこじつけの「正義感」を武器に戦う。
彼らの抱く不安や不満の根底には、持てる者たちへ嫉妬心や、劣等感、過去のトラウマ、異性への嫌悪、他者への偏見、同調圧力への反発、自身の置かれた不公平な立場に対する憤りというものがあるのだろう。中には、憎い他人の幸福を奪い去ってやりたいという歪んだ目的のために正義や人権を利用するような者たちもいる。自分が手にすることのできない幸せや環境を否定し、人々の活躍の場を壊そうとする。人々からの同情を得るために悲劇のヒロインを演じようとする者もいる。他人の迷惑を顧みる余裕すらない彼らは独りよがりな怪獣のように振る舞い続ける。
つまるところ彼らは道理や正しさのためではなく、他人のためでもなく、ただ自分のためだけに正義を主張しているのだ。あくまで利己的な動機に基づいた正義なのである。
要するに「俺が不快になることはするな」と彼らは言いたいのだ。それが悪いことだと言うつもりはないが、しかしそれを直接に伝えようとしない点に問題がある。
時に彼らは自身の抱く憎悪や不快感を正当化するために、それらしい問題を見つけ出して、取って付けたような正義を振りかざす。目的を達成するための「道具」として正義や権利を利用しているのだ。自分のために都合の良い問題を創造し、他人の憎悪を利用しているのだ。彼らの掲げる「正しさ」や「正義」は自分たちの動機や行動を正当化するための後付けの「手段」であり、彼らの行動は遠回しな「憎悪表現」でしかない。
多くの人たちはそのような彼らの歪んだ動機を無意識に感じ取っている。それゆえに反発し、彼らを否定する。人々は正義や正しさを拒絶しているのではなく、その裏にある得体の知れない動機に対して拒絶と嫌悪を示しているのだ。
「心が傷つけられて悲しい」と言いながら怒りの形相で棍棒を振り回す彼らに矛盾と不気味さを感じてしまうのだ。だから「それは悲しみではなく憎しみだろう、なんて空々しいやつらなんだ」と批判される。
おそらく彼らの多くは自分たちの動機や潜在的な意識に気づいてすらいないのかもしれない。ただ不快感から逃れたいという一心で目の前の問題を糾弾し、不快や苦痛を相殺するための一時的な快楽を求め、ただ本能的に振る舞っているだけなのかもしれない。だからこそ、両者の議論は決して噛み合うことはなく、永遠にすれ違い続けるのだ。
あるいは彼らは、物事を大げさに伝えなければ、社会は変わらず、自分たちの不満も理解してもらえないと、そう思い込んでいるのかもしれない。だからこそ彼らはいつまでも不器用でありつづけ、弱者の皮を被った強者のように見られ、自ら敵を作り出していることにも気づかず、決して理解を得られないまま、ただ互いの対立と分断だけが広がり続ける。そしてその対立を利用しようとする人たちがいる。売名と金儲けのために人々の憎悪を煽る者たちがいる。彼らによって本当の弱者の意志は無下にされ、最後には誰も当事者の声に耳を傾けなくなる。
このような社会において何よりも大切なのは、謙虚な態度と、理解を求めようとする誠実な姿勢だと思う。相手への理解や配慮は、その者の態度に答える形で生まれるものだ。高圧的な態度で正義や権利を主張したところで本当の理解は得られない。だから我々は自分たちの本当の気持ちと向き合い、それをどう伝え、どう克服するべきかを冷静に考える必要がある。
情報の伝播と変化が急速で、様々な意見が溢れ衝突するこの情報過密社会において、権利や法律ではなく理解と配慮を求めようとする考え方は、もはや単なる理想でしかないのかもしれない。しかしこの極めて政治的な正しさに支配された壊れゆく社会の中で本当に価値のあるものというのは、見せかけの進歩や平等ではなく、人々の心からの理解と自発的な意志によってのみもたらされる配慮や思いやり、そして寛容と慈悲の心だと思う。そんな分かりやすく単純なことすら私たちは忘れてしまったのだ。情報化は人々の繋がりを強めたが、心は決して繋がることなく、分断だけが広がり続けてきた。絆ではなく傷ばかりを深め合ってきた。むしろこのような時代だからこそ、勝ち負けではなく、対話によるお互いの理解が求められているのではないだろうか。
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